1:名無しのJ民
わかる
2:名無しのJ民
ほんまそれ
なんであんなアホなことしたんや
6:名無しのJ民
負けたから無能って単純すぎひんか?
8:名無しのJ民
いや単純に無能やろ
状況判断ミス、戦術ミス、指揮系統ガタガタ
三拍子揃った大敗北やん
12:名無しのJ民
百済とかいうゴミを助ける義理あったんか?
16:名無しのJ民
当時の国際情勢見たらしゃーない部分もあるけど、あの負け方だけは擁護できん
17:名無しのJ民
負け戦の見本市
18:名無しのJ民
唐・新羅連合軍が強すぎただけでは?
19:名無しのJ民
いやいや、唐はともかく新羅なんて大したことないやろ
日本と百済合わせたらイケると思ったんやろなあ
22:名無しのJ民
結果論やんけ
当時の日本は百済と文化的、政治的に関係深かったし、見捨てるわけにはいかんかったやろ
25:名無しのJ民
それでも負けすぎやろ
水軍壊滅とかいうレベルじゃなかったし
29:名無しのJ民
海戦で負けて、陸に上がろうとしてもまた負けて
逃げる船も焼かれてって地獄絵図やったらしいな
33:名無しのJ民
当時の日本の国力考えたら、朝鮮半島への遠征自体が無理筋だった説
36:名無しのJ民
中大兄皇子(後の天智天皇)が張り切りすぎただけやろ
39:名無しのJ民
張り切って大敗って一番恥ずかしいやつやん
43:名無しのJ民
あの時もし勝ってたら日本の歴史変わってたんかな
47:名無しのJ民
変わってたやろなあ。朝鮮半島に勢力圏作って、大陸との関係も変わったかも
50:名無しのJ民
負けたからこそ唐から必死に文化吸収しようとしたっていうポジティブな側面もあるやろ
53:名無しのJ民
負けて学んだとか美談にするな
大損害出してんぞ
56:名無しのJ民
当時の日本、唐とかいう最強国家がバックについてる新羅に喧嘩売ってる時点で草
60:名無しのJ民
百済滅ぼされたのが660年、白村江の戦いが663年やっけ?
3年で何とかできると思ったのが浅はかや
61:名無しのJ民
百済復興支援軍って聞こえはええけど実態は烏合の衆やったんちゃうか
62:名無しのJ民
新羅は当時からヤンキーやったからしゃーない
64:名無しのJ民
当時の唐の水軍の技術力は世界最高峰やったからな
木造船で体当たりとか時代遅れすぎた
66:名無しのJ民
日本の船団が入り江にぎゅうぎゅう詰めになってて、そこに火を放たれて大混乱って聞いたわ
まるで漁師が網で魚捕るみたいやったらしい
70:名無しのJ民
ファッ!?そんな無能采配だったんか
72:名無しのJ民
敵は正面にしかいないと思ってたんやろなあ
73:名無しのJ民
あと百済の指揮官と日本の指揮官の間で連携が全く取れてなかったらしいで
76:名無しのJ民
それもう負けるべくして負けてるやんけ
78:名無しのJ民
百済の将軍?が、日本から派遣された指揮官のこと「この若造が」とか馬鹿にしてたらしいな
82:名無しのJ民
お互いプライドだけは高かったんやろな
83:名無しのJ民
日本軍の主力は九州の豪族だったとかいう話もあるよな
中央の統制がそこまで効いてなかった説
87:名無しのJ民
大和朝廷は本気出してたんやろか
88:名無しのJ民
いや、当時としては最大級の遠征軍やったで
兵士2万7千、軍船1000隻とかいうガチのオールインや
91:名無しのJ民
それでも唐・新羅連合は兵士10万、軍船170隻(数は少ないが大型)とか言われてるからな
数だけじゃなくて質が違いすぎた
94:名無しのJ民
質も数も負けてたんちゃうか?
95:名無しのJ民
唐の水軍は巨大な楼船とか持ってて、そこから弓とか石とか投げ込んでくるんやろ
日本の小舟じゃ勝ち目ないわ
97:名無しのJ民
戦後、九州に防衛拠点作りまくったのが唯一の成果やろ
98:名無しのJ民
水城とか大野城とか、今の福岡にあるやつな
結局使われることはなかったけど
100:名無しのJ民
むしろ負けたからこそ、唐の文化や制度を必死で取り入れようとしたんやろ
遣唐使再開とか、律令制の導入とか
101:名無しのJ民
負けから学ぶのは大事やけど、できれば負けずに学びたかったわな
104:名無しのJ民
いや、危機感なかったらそんなに必死にならんかったやろ
負けたからこそ「ヤベェ」ってなったんや
108:名無しのJ民
それな。危機感はすごい大事。
112:名無しのJ民
当時の日本って、なんかこう、世界の潮流からズレてた感あるよな
中華思想の真ん中にいるつもりでいたら、外から見たらただの田舎モンだった、みたいな
114:名無しのJ民
大陸の覇権争いに首突っ込んだら火傷したみたいなもんやろ
118:名無しのJ民
でもさ、当時の日本には「天皇」という求心力があったわけでしょ?
それで国民が一つになって戦えなかったんか?
121:名無しのJ民
国民とか概念まだないやろ
123:名無しのJ民
豪族同士の権力争いとかもあったしな
天智天皇も権力固めの最中やったし
127:名無しのJ民
中大兄皇子からしたら、蘇我氏を倒してようやく政権握ったところで、外国で大敗とか目も当てられんわな
128:名無しのJ民
百済とか滅亡した国を助けに行った意味とは
132:名無しのJ民
百済から仏教とか先進文化もたらされてたし、恩義もあったんやろ
外交的なパイプ役としても重要だったし
136:名無しのJ民
あとは、百済滅亡を許したら、次に新羅が狙ってくるのは日本だっていう危機感もあったんちゃうか
139:名無しのJ民
その危機感は正しかったけど、対策が間違ってたってことやな
141:名無しのJ民
でももし日本が唐と戦ってなかったら、もっと平和な時代が続いて、文化の発展もゆっくりだったかもしれん
145:名無しのJ民
いや、むしろ唐が直接攻めてくる可能性もあったんやない?
148:名無しのJ民
白村江の戦いは、当時の日本が初めて大陸の強大な国家と直接衝突した経験だからな
ある意味、歴史的なターニングポイントやった
149:名無しのJ民
日本史って、外国とのガチの戦争が少なすぎるから、白村江の戦いみたいな負け戦でも貴重な教訓になるんよな
153:名無しのJ民
朝鮮出兵とか日露戦争とかと比較されるけど、スケールが違うわ
156:名無しのJ民
日本が本土で一度も外国に支配されなかったのは、この時の教訓があったからって言われることもあるな
160:名無しのJ民
確かに、白村江の戦い以降は防衛意識ガッツリ高まったし
163:名無しのJ民
でもあの敗戦で、結局日本の外交方針が「大陸の強国には逆らわず、学べ」になったのは事実やろ
167:名無しのJ民
遣唐使派遣を再開したのも、唐に臣下の礼を取ってでも学びたかったからやしな
168:名無しのJ民
唐からしたら「またコイツら来たか」みたいな感じやったんかな
170:名無しのJ民
「お前らこの前俺らに負けたじゃん」みたいな目で見られてたやろな
171:名無しのJ民
日本の使節団、唐でビビりまくってたやろな
175:名無しのJ民
「うわ、これ文明のレベル違いすぎワロタ…」ってなってたやろ
179:名無しのJ民
敗戦経験から得たものが大きかったという点では、全くの無能ではなかったのかもな
180:名無しのJ民
結果的に国家として強くなったと考えることもできる。
183:名無しのJ民
いや負けたのは事実やし、死んだ兵士たちからしたらたまらんやろ
187:名無しのJ民
当時は天皇の命令なら死ぬのも本望みたいな価値観やからなあ
188:名無しのJ民
そういう精神論抜きにしても、戦略ミスは酷い
191:名無しのJ民
まさに「負けに不思議の負けなし」ってやつやな
194:名無しのJ民
そらそうよ
195:名無しのJ民
まあでも、その後の日本が朝鮮半島に直接的な影響力を持つことはほぼ無くなったのも、この戦いが原因やな
198:名無しのJ民
新羅が朝鮮半島を統一して、日本と国交はあったけど、力関係は完全に逆転したしな
199:名無しのJ民
日本は結局、島国として独自の文化を育む道を選んだんやな
200:名無しのJ民
外交的に孤立してたわけじゃないけど、大陸とは一定の距離を保つようになった
202:名無しのJ民
白村江の戦いでの大敗は、ある意味で日本のアイデンティティを形成するきっかけになったとも言える
206:名無しのJ民
遠征軍送って大敗って、現代で言うと海外派兵で自衛隊が壊滅するようなもんやろ
209:名無しのJ民
とんでもないことやで
210:名無しのJ民
当時の日本の指導層が、もっと現実的に国際情勢を判断できてたらどうなってたか気になるわ
212:名無しのJ民
唐の国力見誤りすぎたよな
216:名無しのJ民
まさか唐があんな大規模な遠征軍を出すとは思ってなかったのかもしれん
217:名無しのJ民
日本にとって初めてのガチの国際戦争、しかも大敗北。これはでかい。
221:名無しのJ民
でもさ、その敗戦から得た教訓が、その後の日本の国づくりに大きく貢献したってのは紛れもない事実やん?
224:名無しのJ民
例えば?
228:名無しのJ民
防衛意識の向上、唐の先進技術・文化の導入、律令制の整備、都の建設(藤原京、平城京)とか
229:名無しのJ民
全部白村江の戦いが直接の原因ってわけじゃないけど、危機感が加速させたのは確かやろ
232:名無しのJ民
まあ、あの時に唐が本気出して日本攻めてきてたら、今の日本はなかったかもしれんしな
234:名無しのJ民
唐はそこまで暇じゃなかったんやろ
朝鮮半島統一で手一杯
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