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大友宗麟とかいうキリシタン大名って結局何がしたかったんや?

1:名無しのJ民

あーあのフランシスコ・ザビエルと会ったやつか
なんか変なことしてたイメージ

3:名無しのJ民

変なことしかしてないぞあいつ

7:名無しのJ民

なんか大砲とか集めてなかった?
ガチでカブれてたやろ

10:名無しのJ民

そら九州統一よ
そのためにキリスト教使ったんやろ

14:名無しのJ民

統一どころか耳川でボコボコにされて大失墜やんけ
なんJ民でももっとマシな戦略立てるわ

18:名無しのJ民

ただの西洋かぶれの奇人やろ
最期もあかんかったし

19:名無しのJ民

宗麟は有能だったんだよなぁ…
外交も貿易もトップレベルでやってたし

20:名無しのJ民

外交と貿易で国力が上がったところで、軍事力で負けたら意味ないやん
信長みたいに鉄砲使って戦果上げまくるならわかるけど

24:名無しのJ民

ポルトガルと貿易して儲けて、キリスト教の布教を許可する代わりに最新兵器手に入れるっていうのは、当時の国際情勢考えたらめっちゃ合理的だろ

27:名無しのJ民

それならなぜ島津に負けたのか

29:名無しのJ民

耳川の戦いは、宗麟の暴走ってより家臣団がちゃんと制御できなかったのが敗因って説もあるよな
あと島津の釣り野伏せが完璧すぎた

30:名無しのJ民

釣り野伏せとかいうチート戦法
あれ考えたやつ天才すぎるやろ

33:名無しのJ民

宗麟は釣り野伏せ対策できてなかったんか?

36:名無しのJ民

九州の信長とか言われてた時期もあるんだぜ?
最盛期は九州6カ国支配してて、あの島津と龍造寺も震え上がってたんだから

38:名無しのJ民

キリシタン大名っていうと高山右近とか小西行長が有名だけど、宗麟は別格のスケール感あるよな
私財投げ打って布教に協力しまくってたし

40:名無しのJ民

結局は自分の権力強化のためやろ
洗脳しやすいし

41:名無しのJ民

洗脳っていうか、ポルトガルとの貿易を有利に進めるための口実みたいなもんやろ
ガチで信仰してたかは怪しいとこやぞ

43:名無しのJ民

ザビエルが「あいつは信仰が浅い」って言ってたらしいじゃん
まあキリスト教徒になるメリットが大きかったんだろうな

46:名無しのJ民

いや普通にガチで信仰してたやろ
晩年とかマジで信仰心の塊みたいになってたし

48:名無しのJ民

「豊後のフランシスコ・ザビエル」とか言われてたよな
晩年の改宗が本物っぽい

52:名無しのJ民

なんか城に大砲撃ち込んで練習してたとかいう逸話なかったっけ?
アホかな?

54:名無しのJ民

臼杵城のことか?
あれは丹生島城って言って、日本初の近代的要塞とも言われる水城やぞ
ポルトガル人技術者のアドバイスも受けてたとか

55:名無しのJ民

ガチ勢やんけ

59:名無しのJ民

南蛮貿易の利益で、めっちゃ文化的なことやってた印象
豪華な儀式とか、西洋風の庭園とか

63:名無しのJ民

宗麟の家臣団ってけっこう有能なやつ多かったのに、なぜあそこまで迷走したのか

66:名無しのJ民

迷走してたのは宗麟だけやなくて、当時の大名みんな似たようなもんやろ
天下取りに必死だったんや

70:名無しのJ民

息子(義統)がカスすぎたのも原因の一つやろ
宗麟が築いたものをぶっ壊しまくった

72:名無しのJ民

息子も息子で苦労人やで
豊臣秀吉の九州征伐に協力したり、朝鮮出兵で奮戦したり
ただ不器用やっただけで

73:名無しのJ民

宗麟はキリスト教の他にも、なんか新種の食べ物とかも取り入れてたらしいな
パンとか、あとワインとか?

77:名無しのJ民

カステラも宗麟の時代に長崎とか九州に伝わったんだっけ
うまい飯を食うために改宗した説もある

80:名無しのJ民

ポルトガルとの関係深すぎて、なんか豊後をポルトガルの植民地にする計画があったとかいう都市伝説聞いたことあるけどマジ?

84:名無しのJ民

んなアホな
さすがにそれはねーよ

87:名無しのJ民

でもキリスト教を国教化して、ポルトガルと組んで他の大名を征服しようって計画はマジであったらしいぞ

89:名無しのJ民

それって信長と状況似てるな
キリスト教を利用して国内統一って構図

92:名無しのJ民

信長は最終的に排斥したけどな
宗麟は最後まで傾倒してたからそこが違う

96:名無しのJ民

でも耳川の戦いでコケて、その後秀吉に泣きつくしかなかったんだよな
結局は天下人の軍門に下っただけ

100:名無しのJ民

晩年の宗麟、マジで悲惨やったやろ
病気まみれで、キリスト教の洗礼受けて、ひたすら神に祈ってたらしいし

103:名無しのJ民

まあ人間万事塞翁が馬ってことやな
最盛期を極めても終わりは来るんや

104:名無しのJ民

ところでなんで九州の大名ってあんなにキリスト教にハマったんや?
鉄砲と貿易だけが理由ちゃうやろ

108:名無しのJ民

異文化への憧れもあるし、領民を結束させるツールとしても使えたんちゃう?
仏教勢力との対立構造も大きかった

112:名無しのJ民

当時の九州は禅宗がかなり力持ってて、それにキリスト教ぶつけてバランス取ろうとしたっていう見方もあるな

114:名無しのJ民

仏教徒からの弾圧もすごかったらしいからな
キリシタン大名になるのも命がけやで

117:名無しのJ民

結局、宗麟って有能やったんか無能やったんかどっちなん?
よくわからん

121:名無しのJ民

どっちの面も持ってたんやろ
時代を先取りしてた面と、それに振り回された面と

122:名無しのJ民

当時の九州の大名としてはトップクラスの知力と行動力はあったんやろな
ただ運がなかったというか、時代が合わなかったというか

125:名無しのJ民

信長と会ってたらどうなってたんだろうな
意外と気が合ったかもしれない

126:名無しのJ民

信長も西洋かぶれやったからな
話盛り上がってそう

130:名無しのJ民

ワイ的には、宗麟は「自分探し」に一番熱心な大名だったと思う
常に新しいもの求めてたし、思想的な部分でも悩んでたんだろうな

131:名無しのJ民

哲学者かな?

134:名無しのJ民

海外の文化に触れて、自分の国をどうしていくべきか真剣に考えてたのは間違いないやろ
ただ、そのやり方がちょっと奇抜だっただけ

136:名無しのJ民

でも耳川の戦いの敗戦で全てが台無しになった感は否めない
あそこで勝ってたら九州統一あったかもなのに

137:名無しのJ民

耳川の戦いって、宗麟が「これで九州統一や!」って浮かれてたところに島津が不意打ちでボコったイメージやわ
慢心はあかんな

138:名無しのJ民

いや、そこまでシンプルじゃないぞ
大友軍は寡兵でよく戦った方だ
ただ、相手が島津だったのが運の尽き

140:名無しのJ民

島津って戦国最強格やからしゃーない
あれに勝つのは至難の業

143:名無しのJ民

島津義弘とかいう鬼畜

146:名無しのJ民

宗麟は優秀な官僚タイプで、義弘は生粋の武人タイプやからな
相性が悪かったんやろ

148:名無しのJ民

豊後って今も大友宗麟推してるんか?
観光とかで

152:名無しのJ民

臼杵城とか府内城跡とかあるし、歴史的スポットとしては推してるやろ
でもメインは温泉やろなぁやっぱり

153:名無しのJ民

別府温泉とか湯布院とか、あっちのイメージが強すぎる
宗麟も温泉好きだったんかな?

155:名無しのJ民

湯治に行ってたっていう記録は残ってるで
キリシタンだけど湯治はするんかい、って突っ込まれてたとか

156:名無しのJ民


やっぱ人間やな

158:名無しのJ民

宗麟がいなかったら、九州のキリスト教文化はもっと広まらなかっただろうな
歴史に与えた影響は大きい

160:名無しのJ民

でも結局秀吉のバテレン追放令でほぼ潰されたわけだし
無駄骨だったんちゃうの?

161:名無しのJ民

いやいや、そうはならんよ
禁教されても地下に潜って信仰を続けた「隠れキリシタン」を生み出したのは、紛れもなく宗麟たちの時代があったからや

164:名無しのJ民

あー隠れキリシタンか
そう考えると影響デカいな

166:名無しのJ民

現代にまで続く文化を根付かせたという意味では、むしろ成功したと言えるかもしれん

167:名無しのJ民

でも、九州征伐で豊臣秀吉が来た時、宗麟って秀吉に「わし、もう死ぬから…」みたいな感じで頼み込んで領地安堵してもらったんだっけ?
なんか情けない終わり方

170:名無しのJ民

もう老体で病気だらけだったし、しゃーないやろ
しかもあの秀吉やぞ?逆らったら終わりや

174:名無しのJ民

弱った宗麟が秀吉に土下座して命乞いしてる姿を想像すると悲しくなる

177:名無しのJ民

そこまで弱ってなかったぞ
むしろ最後の力を振り絞って、九州の覇者だった秀吉にちゃんと筋通しに行ったんや
それがなければ大友家は滅んでたかもしれん

181:名無しのJ民

それもまた一つの戦い方よ
外交で活路を見出すのも大名の仕事

184:名無しのJ民

宗麟がいなければ、日本の近代化はもう少し遅れてたかもな
海外との窓口として重要な役割を果たした

185:名無しのJ民

そこまで大げさか?
信長や家康も海外に目向けてたし

187:名無しのJ民

でも宗麟は日本で一番最初に本格的に西洋文明を国づくりに導入しようとした大名だからな
その先進性は評価されるべき

191:名無しのJ民

たしかに南蛮文化を積極的に取り入れたのは宗麟が一番早かったかもな
他は貿易中心で、文化はそこまでガチじゃなかったイメージ

193:名無しのJ民

鉄砲伝来から数十年で大友家がガチで大砲まで取り入れたのはすごいわ

194:名無しのJ民

宗麟の銅像とかあるんか?豊後

198:名無しのJ民

臼杵城跡とか、あと大分駅前にもあるで
自転車乗ってる銅像とか、若かりし頃のやつとか

202:名無しのJ民

自転車?

206:名無しのJ民

後世のイメージやろ
たぶんヨーロッパの新しい乗り物に乗ってるイメージで造られたんやろな

210:名無しのJ民

自転車は草
宗麟もおしゃれなことしてたんだな

213:名無しのJ民

まあ結局何がしたかったかって言われると、新しい時代を自分なりに作ろうとしたんやろな
キリスト教も南蛮貿易もそのための手段やったと

215:名無しのJ民

手段のはずが目的になっちゃった感もあるけどな

219:名無しのJ民

でも歴史の教科書では、いまいち存在感が薄いよな
もう少し評価されてもいいと思うけど

223:名無しのJ民

地味だからな
信長みたいに派手な武将じゃないし

227:名無しのJ民

でもそれがまた良い
マイナーなところを深掘りするの楽しい

231:名無しのJ民

歴史に残る偉人っていうよりは、時代に翻弄された天才肌って感じやね

233:名無しのJ民

なるほどね

236:名無しのJ民

宗麟の人生見てると、挑戦することの大切さと、時には引き際を見極めることの難しさを感じるわ

237:名無しのJ民

そう考えると深いな
単なる変人では片付けられんな

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