1:名無しのJ民
マジかよ、初めて知ったわ
2:名無しのJ民
は?そんな説あんの?
3:名無しのJ民
知ってるぞ
安土城の障壁画が焼失した後に、残った屏風がこれなんじゃないかって説な
7:名無しのJ民
え、じゃああれ信長も見てたん?ヤバすぎやろ
10:名無しのJ民
国宝の桧図屏風のことか
あれ狩野永徳の代表作の一つやな
14:名無しのJ民
残滓っていうか、元々安土城にあったものが移されたとか、安土城の障壁画の試作品だったとか、色々な説があるんやで
18:名無しのJ民
試作品で国宝レベルって永徳ヤバすぎだろ
19:名無しのJ民
永徳とかいう神絵師
信長とかいうぐう聖パトロン
22:名無しのJ民
信長が安土城築城時に永徳に命じて描かせた巨大な障壁画は、城とともに焼失したからな
あれが残ってたらどれだけ凄かったか…
26:名無しのJ民
もし桧図屏風が安土城にあったとしたら、信長がどんな気持ちで見てたんやろな
権力の象徴としてか、芸術作品としてか
28:名無しのJ民
そら両方やろ
自分だけの城に最高の絵師が描いた最高の絵
ドヤ顔不可避
30:名無しのJ民
でも確証はないんやろ?
ただのロマン説?
31:名無しのJ民
確証はないけど、安土城の規模とか永徳の活動時期とか画風とか考えると、説得力はあるって言われとるな
32:名無しのJ民
てか桧図屏風って東京国立博物館にあるやつか
なんか教科書で見た記憶あるわ
34:名無しのJ民
あれ東京国立博物館にあるのか
今度見に行ってみるか
35:名無しのJ民
ホンモノ見ると迫力違うぞマジで
なんか画面から飛び出してきそうな感じ
37:名無しのJ民
桃山文化の力強さが凝縮されてるよな
金地の屏風にドーンと桧の巨木
40:名無しのJ民
信長とか秀吉の時代ってなんか全てがデカくて派手やんな
44:名無しのJ民
当時流行ってた「大画様式」ってやつやな
広い空間を埋めるために、デカい絵をバーンと描く
45:名無しのJ民
安土城の天主とかどんな絵で埋め尽くされてたんやろ
想像するだけで興奮する
49:名無しのJ民
信長「永徳、もっと派手に、もっとでかく!」
永徳「仰せのままに…」
みたいなやり取りあったんかな
53:名無しのJ民
あったやろ絶対
信長は永徳に「お前以外にこれだけ描ける奴はおらん」みたいなこと言ったらしいし
56:名無しのJ民
信長、永徳を囲い込む有能ムーブ
58:名無しのJ民
永徳って唐獅子図屏風も描いたんだっけ?
あれもすげえよな
61:名無しのJ民
そうそう、唐獅子図屏風も永徳の代表作やな
あれも迫力満点
65:名無しのJ民
桧図屏風は「国宝」やで
そんじょそこらの絵とは格が違う
69:名無しのJ民
美術あんま詳しくないんやけど、なんでそんなに評価されてるん?
72:名無しのJ民
桃山美術の最高峰の一つだからやで
当時、これだけ力強く、しかも繊細に自然を描けたのは永徳しかいなかった
74:名無しのJ民
あと金地ってのがポイントやな
戦国大名が権力を誇示するために使った
76:名無しのJ民
金地ってのはつまり豪華さを表してるんか
77:名無しのJ民
せやで
あの時代、金は富と権力の象徴やからな
78:名無しのJ民
もし安土城に残ってたら、今頃は世界遺産で何十億円とかの価値やったんやろな
81:名無しのJ民
何十億どころじゃねえだろ
プライスレスや
83:名無しのJ民
残念ながら安土城は明智光秀が焼いたって言われてるけど、実際は信長死後の混乱で焼けた説もあるんやで
85:名無しのJ民
どっちにしろ歴史のifを考えると切ないわな
88:名無しのJ民
安土城の障壁画、マジで見てみたかった
91:名無しのJ民
てか桧図屏風って、安土城の屏風が何かの拍子で外に持ち出されてた可能性もゼロではないんだろ?
94:名無しのJ民
可能性はゼロじゃないけど、確たる証拠がないから「残滓説」に留まってるんやな
95:名無しのJ民
もし残滓だったら、信長が最後に見た風景の一部なのかもしれないって思うと胸熱
96:名無しのJ民
安土城の障壁画って、狩野永徳だけじゃなくて他の狩野派の絵師も描いてたんやろ?
97:名無しのJ民
そうやね
永徳が総監督みたいな感じで、弟子たちにも描かせてたはず
101:名無しのJ民
永徳、デスマでブラック企業状態だったんかな
105:名無しのJ民
当時は絵師も職人やからな
納期厳守やで
109:名無しのJ民
信長「納期は明日な」
永徳「無茶言わんといて…」
113:名無しのJ民
信長「気に入らなければ首を刎ねる」
永徳「ひえっ…」
114:名無しのJ民
まあ信長は永徳を評価してたから大丈夫だったろうけど
118:名無しのJ民
信長って茶器とか南蛮文化とか、芸術方面にもかなり造詣が深かったんだよな
だから永徳みたいな才能を見抜けたんやろ
121:名無しのJ民
信長ぐう有能
124:名無しのJ民
逆に秀吉は派手好きで、永徳にもっと派手な絵を描かせようとしたけど、永徳は秀吉の好みに合わない部分もあって苦労したとか
127:名無しのJ民
秀吉の時代になると永徳ももう老境に入ってたからな
体力的にもキツかったやろ
131:名無しのJ民
桧図屏風って屏風としてはかなりの大型やろ?
134:名無しのJ民
かなり大型やで
六曲一双の屏風やから、広げるとめちゃくちゃでかい
135:名無しのJ民
そんだけデカい屏風を、安土城に何枚も並べてたってことよな
信長のスケールおかしいやろ
136:名無しのJ民
いや、当時の大名の城はどこもそんな感じやで
それが権力の象徴やから
137:名無しのJ民
安土城って天主閣に仏像とか飾ってたんだっけ?
139:名無しのJ民
そうそう、最上階には仏像が安置されてたらしい
仏教と権力が融合したような空間
140:名無しのJ民
まさに権力の塊やな
143:名無しのJ民
桧図屏風も、そんな安土城の絢爛豪華な一部だった可能性を考えるとロマンが止まらん
145:名無しのJ民
美術館で見るのと、城の中で見るのとではまた印象が違うんやろな
149:名無しのJ民
絶対違うやろ
城の薄暗い中で、金地の屏風が煌めいてるとか、ヤバすぎ
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