1:名無しのJ民
マジかよ中華さん…
4:名無しのJ民
え?マジで?
7:名無しのJ民
草
9:名無しのJ民
歴史修正主義者「これは日本の起源」
11:名無しのJ民
これ豆な
15:名無しのJ民
中国の演劇って京劇とか雑技団みたいなイメージしかなかったわ
16:名無しのJ民
近代劇ってのがポイントやな
18:名無しのJ民
つまり中国に近代劇はないってこと?
21:名無しのJ民
いや、当時の中国は清朝末期で、知識人が日本に留学して西洋の思想や文化を学んでた時代やからな。その流れで演劇も。
22:名無しのJ民
日本経由で西洋文化取り入れるのはよくある話やん
26:名無しのJ民
日本スゲー!
29:名無しのJ民
いやこれ、別に日本が偉いとかじゃなくて、当時の中国が内政ボロボロだったから、まともな演劇活動すら外でやるしかなかったってだけやろ
31:名無しのJ民
東京の留学生会館で旗揚げしたんだっけ?
33:名無しのJ民
せやで。1906年や。
36:名無しのJ民
へー、結構昔やな
40:名無しのJ民
李叔同とか曾孝谷とかが中心になって作ったらしいな
41:名無しのJ民
誰やねん
44:名無しのJ民
ググれカス
47:名無しのJ民
李叔同は後に弘一法師って高僧になる人やで。めっちゃ多才な人だったらしい
50:名無しのJ民
お坊さんが劇団とかロックすぎるやろ
54:名無しのJ民
しかも仏門入る前は画家でもあり音楽家でもあり劇作家でもあるという
58:名無しのJ民
意識高い系留学生の集まりだったんか
61:名無しのJ民
演目は「椿姫」とか「黒奴籲天録」とか、西洋劇の翻案が多かったらしい
65:名無しのJ民
奴隷解放運動とか、そういう啓蒙的な内容が多かったんやろな
67:名無しのJ民
つまり、当時の中国の状況を劇を通じて訴えようとしてたんやな
68:名無しのJ民
まじめか
69:名無しのJ民
京劇とかの伝統演劇しかなかった中国に、リアリズムとかプロット重視の「新劇」を持ち込んだのが春柳社ってことや
73:名無しのJ民
中国の文化、何でも日本経由にしてて草
75:名無しのJ民
いや、中国が日本に学んでた時代があったってのは事実やからな
78:名無しのJ民
近代化のモデルとして日本を見てた側面は大きい
82:名無しのJ民
じゃあ今は?
85:名無しのJ民
今は逆
88:名無しのJ民
悲しいなあ
90:名無しのJ民
でもさ、なんで日本でやる必要があったんだ?中国じゃできんかったんか?
94:名無しのJ民
清朝末期やぞ?自由な表現なんてできたと思うか?
97:名無しのJ民
なるほど、表現の自由を求めてってことか
98:名無しのJ民
日本は当時、アジアで唯一近代化に成功してた国だったから、留学生も多かったし、思想的な交流も活発だったんや
100:名無しのJ民
日本も新劇運動が始まったばっかりの頃やろ?影響受けた部分もあるんかな
102:名無しのJ民
いや、むしろ日本の新劇側が春柳社から刺激を受けた部分もあるって言われてるで
104:名無しのJ民
すげえな、相互作用か
107:名無しのJ民
でも、劇団って金かかりそうやん?どうしてたんだろ
110:名無しのJ民
留学生が自分たちで資金出し合ったり、あとは当時のパトロンみたいな人がいたんちゃうか
111:名無しのJ民
まあ、学生のサークルみたいなもんやろ
113:名無しのJ民
でも、そのサークルが中国演劇の歴史を変えたってのがロマンやな
115:名無しのJ民
へー、勉強になったわ
119:名無しのJ民
中国に帰ってからはどうなったん?
122:名無しのJ民
春柳社自体は短命で、中国に帰国してからは名前を変えたり、メンバーが散り散りになったりしたけど、彼らが持ち帰った近代演劇の思想が、その後の中国話劇運動の基礎になったんや
125:名無しのJ民
話劇って何?
128:名無しのJ民
セリフ中心で、歌や舞踊がメインじゃない演劇のことや。日本の「新劇」に近い。
131:名無しのJ民
京劇が歌舞伎なら話劇はストレートプレイって感じ?
132:名無しのJ民
そんな感じやな
136:名無しのJ民
起源は日本って言われそうで草
139:名無しのJ民
いや、起源は西洋やから。日本はあくまでその「窓口」の一つだったってだけや
143:名無しのJ民
中華さん、また起源主張しそう
144:名無しのJ民
まあ、日本が近代文化のハブになってたのは事実やな
145:名無しのJ民
でも、春柳社って名前、なんか可愛いな
148:名無しのJ民
春の柳ってことやろ?なんか風情あるわ
151:名無しのJ民
春巻き社かと思ったわ
155:名無しのJ民
お前だけや
158:名無しのJ民
てか、劇団って聞くとどうしても劇団四季みたいなイメージになるけど、当時はもっと政治的な意味合いが強かったんやろな
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