1:名無しのJ民
後鳥羽上皇ガチで何がしたかったんや
5:名無しのJ民
京都側のメンタル「イケるやろ!」→「なんでや!」
6:名無しのJ民
鎌倉側「舐めんなよ」
7:名無しのJ民
正直、この時の北条義時と政子の采配は神がかってるわ
11:名無しのJ民
まさか頼朝の死後あそこまで結束するとは後鳥羽も思わなかったんやろな
13:名無しのJ民
てか、あのタイミングで京から大軍送るのも無理があるだろ
17:名無しのJ民
後鳥羽は当時の武士のトップが誰か分かってなかったんか?
20:名無しのJ民
義時「解せぬ」
21:名無しのJ民
承久の乱は、もはや武士が国を動かす時代になってたってのを上皇が理解してなかっただけ
25:名無しのJ民
頼朝が死んで源氏の嫡流が途絶えたから、もう幕府は終わりやろって判断したんやろ
28:名無しのJ民
なお、北条家がガッチリグリップしてた模様
29:名無しのJ民
政子の演説がレベチすぎる
32:名無しのJ民
あれで多くの御家人たちが「せやな!」ってなったんやろ?すごいわ
35:名無しのJ民
政子「頼朝公の恩は山よりも高く海よりも深い!この幕府が滅びたらみんな終わりやで!」
御家人「うおおおおお!」
36:名無しのJ民
この演説なかったらどうなってたんやろな
40:名無しのJ民
たぶん政子いなかったら鎌倉側バラバラだったよな
43:名無しのJ民
後鳥羽さんは院政の成功で調子に乗ってたんやろな
自分の思い通りになるって勘違いしてた
46:名無しのJ民
それまで上手くいってたから慢心したんやろな
武士を軽んじてたのもあるし
47:名無しのJ民
でも鎌倉も将軍不在で不安定だったし、チャンスと思ったのは分からんでもない
48:名無しのJ民
いやいや、当時の鎌倉はもう北条家が完全に掌握してたやろ
49:名無しのJ民
将軍が飾りになってたからな
50:名無しのJ民
後鳥羽「ワイの言うこと聞けや!」
武士「は?」
51:名無しのJ民
義時「京に攻め込め」
武士「おう!」
52:名無しのJ民
この差よ
55:名無しのJ民
てか、西国の武士が全く動かなかったのが誤算すぎたやろ
59:名無しのJ民
いや動くわけないだろ。鎌倉幕府に土地もらいまくってたんやから
60:名無しのJ民
朝廷側についた武士が裏切ったのも痛すぎる
62:名無しのJ民
そら御恩と奉公の原則があるからね
朝廷に仕えるメリットより、幕府に弓引くデメリットの方が大きかった
64:名無しのJ民
後鳥羽の味方ってどんな顔ぶれだったん?
66:名無しのJ民
藤原秀康とかいう無能
69:名無しのJ民
後鳥羽側についた武士も幕府から所領もらってたのがほとんどだからな
いざとなったらそら裏切るわ
70:名無しのJ民
朝廷軍とか名ばかりで、寄せ集めの烏合の衆やし
72:名無しのJ民
しかも義時の息子である泰時がめっちゃ有能
73:名無しのJ民
泰時パッパ譲りで有能すぎる
この後もしっかりしてて名君やね
75:名無しのJ民
鎌倉側は情報戦も圧倒的やったらしいな
76:名無しのJ民
京は朝廷軍が攻めてくるって情報がダダ漏れやったらしいし
78:名無しのJ民
情弱は滅びるってそれ一番言われてるから
79:名無しのJ民
後鳥羽「ワイは神やぞ!武士どもは平伏せい!」
現実「お前が平伏せい」
82:名無しのJ民
後鳥羽は歌詠みとしては超一流やったけど、政治家としては二流やったな
85:名無しのJ民
歌聖やもんな。でも戦はからっきしやった
86:名無しのJ民
承久の乱がなかったら、室町時代とか戦国時代とか全然違う流れになってたかもな
87:名無しのJ民
武家政権の盤石化に決定的な影響を与えた戦いやからな
89:名無しのJ民
朝廷の権威が地に落ちた戦いとも言える
90:名無しのJ民
いや、そこまで落ちたわけではないだろ
天皇制そのものは続いたし
91:名無しのJ民
象徴的な権威は残ったけど、実権は完全に武士が握ったってことやね
95:名無しのJ民
六波羅探題とかいう京の監視カメラ
96:名無しのJ民
あれで朝廷は一切口出しできなくなったからな
97:名無しのJ民
後鳥羽上皇「島流しにされたけど歌は詠むで」
100:名無しのJ民
隠岐で歌会開いてたエピソードすき
103:名無しのJ民
ワイ後鳥羽上皇、島で歌詠みライフを楽しむ
106:名無しのJ民
後鳥羽は自分の実力過信しすぎたな
源氏将軍が次々と死んで、幕府は弱体化してるように見えたんやろうけど
107:名無しのJ民
でも源実朝って有能だったらしいじゃん
それが暗殺されたのが痛い
109:名無しのJ民
源実朝暗殺は北条氏の仕業って説もあるしな
110:名無しのJ民
それガチなら北条家は恐ろしいわ
112:名無しのJ民
実朝は鎌倉殿の13人でもちょっと可哀想だったな
115:名無しのJ民
実朝が生きてたら承久の乱自体起きなかったかもな
将軍がしっかりしてたら後鳥羽も手出ししなかったろうし
118:名無しのJ民
泰時も有能やけど、義時が本当にすごかった
あのジジイの判断力は現代でも通用する
120:名無しのJ民
義時「朝廷を滅ぼす気はない。上皇を島流しにするだけ」
123:名無しのJ民
このあたりの冷静さもやばい
やりすぎない加減を知ってる
124:名無しのJ民
北条義時の「鎌倉殿の13人」のラスボス感すごかったわ
125:名無しのJ民
北条義時と政子がいなかったら鎌倉幕府は短命で終わってたやろな
127:名無しのJ民
承久の乱は、日本の歴史において武士の地位を不動のものにしたターニングポイントやね
130:名無しのJ民
鎌倉時代が本格的に始まった瞬間や
131:名無しのJ民
この時の鎌倉武士団の団結力は異常
134:名無しのJ民
御恩と奉公ってシンプルだけど強すぎるシステム
138:名無しのJ民
朝廷側にはそれに対抗するメリットがなかった
142:名無しのJ民
後鳥羽上皇は西国の武士頼りすぎて、東国の武士の力を軽視しすぎた
144:名無しのJ民
てか、あの時点で東国にはもう武士しかいなかったようなもんやし
148:名無しのJ民
結局、後鳥羽上皇はなんでいきなり挙兵したんや?
具体的に何かきっかけがあったんか?
149:名無しのJ民
きっかけは、幕府が自分の意に沿わない人を地頭に任命したとか、流刑にしたとか、そういう不満が積もり積もった結果
あとは源実朝の死で幕府が揺らいだと判断したんやろ
150:名無しのJ民
後鳥羽「ワイの言うこと聞けや!」
幕府「知るかよ」
後鳥羽「ムカつくからぶっ潰すわ!」
こんな感じ?
152:名無しのJ民
大体そんな感じやで
上皇の意向が幕府に拒否されるケースが増えて、権威の失墜を恐れた
153:名無しのJ民
マジで感情論で戦挑んだんか...
155:名無しのJ民
まあ、権威と実力の乖離が極まってた時期やからな
156:名無しのJ民
結果的にそれが武士政権をさらに強固にしてしまったんだから、皮肉なもんだな
159:名無しのJ民
承久の乱って教科書だとあんまり詳しく語られんけど、実際はかなり重要な戦いやな
160:名無しのJ民
源氏三代で終わったから、次は朝廷の時代や!って思ったんやろなあ
163:名無しのJ民
北条氏がいなかったら歴史どうなってたんだろうな
164:名無しのJ民
北条時宗もそうだけど、北条家って有能な人材多いよな
165:名無しのJ民
そら御恩と奉公を盾に御家人の不満を逸らしたり、巧妙に支配してたからな
169:名無しのJ民
後鳥羽は「武士なんて所詮田舎者」って馬鹿にしてた節があるし
171:名無しのJ民
鎌倉武士は質実剛健で結束力も高かったから、京都の公家とは違ったんやろな
174:名無しのJ民
京の公家「やんごとなき」
鎌倉武士「ぶっとばす」
177:名無しのJ民
このスレ見たら後鳥羽上皇めっちゃかわいそうになってきた
181:名無しのJ民
自業自得定期
184:名無しのJ民
後鳥羽もまさかここまで返り討ちにあうとは思わなかったんやろうなぁ
185:名無しのJ民
隠岐の島で何を思ったんやろな
188:名無しのJ民
多分、自分が正しかったと最後まで思ってたんやろ
190:名無しのJ民
権力って怖いね
191:名無しのJ民
あと上皇が勝ってたとしても、その後の世がどうなったかはわからんしな
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