1:名無しのJ民
元寇で疲弊したからやろ
4:名無しのJ民
後醍醐天皇がウザかったからじゃね?
7:名無しのJ民
いや、あれって北条がアホだっただけやろ
8:名無しのJ民
ワイ詳しくないんやけど、なんでいきなり滅んだん?
11:名無しのJ民
武士の不満が爆発したんやろ
ご恩と奉公が機能しなくなってたとか
15:名無しのJ民
元寇関係ないって説もあるよな
賞金出なかっただけで幕府が傾くわけないって
16:名無しのJ民
賞金というか、論功行賞の土地がなかったんやろ
元寇は防衛戦やから新しい領地が増えない
17:名無しのJ民
それや!土地は有限やのに武士は増えていくし分割相続でどんどん細分化されてくやろ
20:名無しのJ民
結果、御家人たちが食っていけなくなって、幕府への不満が溜まったと
22:名無しのJ民
北条氏のやり方も良くなかったんじゃないか?
執権政治が専制化して、他の御家人が疎外されてたとか
26:名無しのJ民
せやな、得宗家が全部決めとったもんな
合議制なんて名ばかり
29:名無しのJ民
鎌倉幕府って源氏三代で終わった後は、ずっと北条氏が実権握ってたんだっけ?
32:名無しのJ民
そうやで、執権として。でも名目上は将軍がトップ。その将軍すら傀儡化してたけどな
36:名無しのJ民
つまり北条一族の横暴が原因ってこと?
38:名無しのJ民
横暴っていうか、当時の社会システムが限界に来てたってのが大きいんちゃうか
貨幣経済が浸透して、物納じゃやっていけなくなった武士も増えてたし
41:名無しのJ民
貨幣経済はデカいな
米だけじゃ金にならんもん
42:名無しのJ民
借金まみれの御家人とかいたんやろな
徳政令出しても焼け石に水だったとか聞くし
46:名無しのJ民
徳政令は応急処置やろ
根本的な解決にはならん
48:名無しのJ民
後醍醐天皇ってどういう立ち位置だったん?
幕府に不満持ってた公家?
52:名無しのJ民
バリバリ倒幕を企んでた天皇や
天皇親政を目指してた
55:名無しのJ民
しかも何度も捕まっても諦めない粘着質なタイプ
59:名無しのJ民
そこが面白いんだよな後醍醐
流されても脱出してまた兵を挙げる
62:名無しのJ民
現代なら絶対炎上してるやろあの天皇
空気読めなさすぎ
66:名無しのJ民
鎌倉末期って、悪党とかいう無法者集団が各地で暴れてたんだよな
あれも治安悪化の原因?
67:名無しのJ民
悪党は治安悪化の象徴でもあるし、既存のシステムに不満を持つ勢力でもあったからな
武士と農民の中間みたいな連中
68:名無しのJ民
つまり、既存の権力(幕府)が、社会の変動に対応しきれてなかったってこと?
70:名無しのJ民
その通りやで
社会が複雑化したのに、幕府の統治機構が旧態依然としてた
71:名無しのJ民
結局、金と土地と不満ってことか
いつの時代も変わらんな
75:名無しのJ民
あと足利尊氏の裏切りもデカいやろ
あれがなけりゃ北条ももうちょい粘れたんちゃうか
79:名無しのJ民
尊氏を裏切り者呼ばわりするのはちょっと違うんちゃうか
当時の武士は「ご恩」に対して忠誠を尽くすんやで
82:名無しのJ民
そうそう、後醍醐天皇に「天下をひっくり返してやるぜ!」って言われて、そっちに恩を感じたってだけやろ
83:名無しのJ民
いや、尊氏は最初幕府方で討伐軍として派遣されたんやで
それが途中で裏切って後醍醐方についたんやから、普通に裏切りやろ
87:名無しのJ民
武士にとって一番大事なのは「御恩」やから、より大きな御恩をくれる方に寝返るのは当然の行動なんや
北条氏が得宗専制で御恩を与えられなくなってたんが悪い
91:名無しのJ民
つまり、北条が尊氏に十分な御恩を与えられなかったのが敗因?
92:名無しのJ民
それもあるな。尊氏は実力あったのに冷遇されてた説もあるし
93:名無しのJ民
尊氏が裏切るタイミングも絶妙だったよな
一気に形勢逆転したもん
97:名無しのJ民
新田義貞の鎌倉攻めも凄かったらしいやん?
稲村ヶ崎を干潮狙って攻めたとか
100:名無しのJ民
あれはロマンあるよな
実際は干潮じゃなくて馬ごと海に入ったって説が有力だけど
102:名無しのJ民
「神風が吹いた」とか言われてたっけ?
103:名無しのJ民
新田義貞、最後あんまりパッとしないけどな…
106:名無しのJ民
まあ、尊氏と後醍醐の争いに巻き込まれて死んじゃうしな
107:名無しのJ民
話戻るけど、元寇って本当に影響なかったん?
防衛戦でめちゃくちゃ金と人手かかったのは事実だろ
111:名無しのJ民
直接的な滅亡の原因ではないけど、幕府の財政を圧迫したのは間違いない
そして、御家人への「ご褒美」がなかったことで不満が溜まったのは大きい
112:名無しのJ民
じゃあ、元寇が間接的な原因ってこと?
114:名無しのJ民
うん、そう捉えるのが自然やろね
117:名無しのJ民
結局、後醍醐天皇が幕府に止めを刺したって感じか?
119:名無しのJ民
いや、後醍醐天皇だけでは無理だったよ
尊氏や義貞みたいな有力武士が寝返ったのが決定的
123:名無しのJ民
じゃあ、北条氏の専制と、既存システムの限界、そして有力武士の不満と、後醍醐天皇の執念と、尊氏の決断ってとこか
126:名無しのJ民
全部乗せやんけ
128:名無しのJ民
それが歴史やろ
単一の理由で滅びるなんて稀や
130:名無しのJ民
確かに
134:名無しのJ民
北条氏自体も一枚岩じゃなかったって話もあるし
内輪揉めもあったやろ
135:名無しのJ民
得宗家以外は不遇だったもんな
そりゃ不満も出るわ
136:名無しのJ民
北条高時ってやつが最後の執権?
どんなやつだったんや?
139:名無しのJ民
高時はちょっと無能扱いされがちやな
酒浸りで闘犬にハマってたとか言われる
140:名無しのJ民
まーたアホなトップが原因ってやつか
144:名無しのJ民
高時がアホだったというより、時代が要求する器じゃなかったって感じかもね
難局を乗り切れるタイプではなかった
148:名無しのJ民
幕府滅亡の時に、北条一族が鎌倉の東勝寺で集団自決したんやっけ?
あれは壮絶だよな
149:名無しのJ民
一族郎党800人以上が自害とか、すごい潔さ
151:名無しのJ民
そら「武士の世」を築いた源氏から実権奪って、数百年間牛耳ったんだから、プライドもあったやろ
152:名無しのJ民
なんというか、盛者必衰の理やね
156:名無しのJ民
北条氏自体は有力な御家人ではあったのに、なんであそこまで権力集中したんやろ?
157:名無しのJ民
初代執権の北条時政が源頼朝の妻の父、つまり外戚やからや
娘の政子が頼朝の後ろ盾を得て、頼朝死後も影響力保持した
160:名無しのJ民
源氏将軍が早死にしたのも大きいな
実朝で三代で終わりやし
162:名無しのJ民
源氏が途絶えたから、北条氏が実質的なトップになったと
163:名無しのJ民
でもさ、鎌倉幕府が滅んだ後も、武士の世は続いたわけやん?
室町幕府も武士の政権だし
164:名無しのJ民
せやな、統治の主体が鎌倉から京都に移っただけで、武士政権は続いた
167:名無しのJ民
つまり、鎌倉幕府の滅亡は、武士の世の終わりじゃなくて、あくまで北条氏政権の終わりってことか
168:名無しのJ民
正確に言えば、鎌倉を拠点とする武士政権の終わりやな
171:名無しのJ民
後醍醐天皇は天皇親政を目指したけど、結局足利尊氏に裏切られて南北朝時代になるし
173:名無しのJ民
歴史ってほんと皮肉だよな
174:名無しのJ民
後醍醐天皇、最終的に吉野に逃げて、そこから朝廷を名乗ったんだよな
177:名無しのJ民
それが南北朝時代の始まりや
天皇が二人いる状態
179:名無しのJ民
ややこしいよなあの時代
181:名無しのJ民
結局、鎌倉幕府は時代に乗り遅れて、内部から崩壊したってのが一番しっくりくるな
外部要因(元寇)はあくまで引き金に過ぎない
183:名無しのJ民
そこに後醍醐天皇っていう超粘着質で信念の強い天皇がいて、足利尊氏っていう超絶有能な裏切り者がいたから、一気に崩壊した
185:名無しのJ民
裏切り者というか、武士の利益を追求した合理的な選択をしたのが尊氏って感じやな
186:名無しのJ民
北条家の滅亡に哀愁を感じるわ
189:名無しのJ民
日本史って内ゲバばっかだよな
192:名無しのJ民
権力争いはいつの時代も同じやね
196:名無しのJ民
高校の時、鎌倉幕府滅亡のところが一番頭に入ってこなかったわ
登場人物多すぎ
200:名無しのJ民
確かにややこしいよな
でもそういう複雑さが面白いんやけど
203:名無しのJ民
結局、全部足利尊氏が悪いってことでいいか?
204:名無しのJ民
おいやめろ
205:名無しのJ民
尊氏にしてみれば、北条が悪いんだろ!って感じやろ
208:名無しのJ民
尊氏を責めるのは筋違いやろ
彼は武士の棟梁として、武士の期待に応えただけや
212:名無しのJ民
じゃあ、後醍醐天皇が諸悪の根源ってことでFA?
214:名無しのJ民
お前どんだけ後醍醐嫌いなんだよww
217:名無しのJ民
鎌倉幕府滅亡って、日本史のターニングポイントの一つだよな
220:名無しのJ民
そうやね、武家政治の形が大きく変わった時代やし
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