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筒井順慶の洞ヶ峠って結局ガセなの?真実なの?

1:名無しのJ民

あれ結局誰が得した話なん?

4:名無しのJ民

ワイはガセだと思ってる
そんな都合の良い話あるかよ

8:名無しのJ民

ガセに決まってるだろ
当時はそんな言葉もなかったし、後世の創作や

11:名無しのJ民

でも「洞ヶ峠」って言葉が残ってる時点で何かあったんちゃうん?

14:名無しのJ民

日和見の代名詞やんけ
順慶以外にもあんな奴ゴロゴロおったんちゃうの

18:名無しのJ民

順慶はむしろ有能な方やろ
松永久秀に散々煮え湯飲まされて、最終的に織田について大和一国任されるとか、普通の神経じゃ無理やぞ

19:名無しのJ民

いや、そこが有能って言われる所以ちゃうか?
結果的に勝ち馬に乗ったんやから

21:名無しのJ民

ガチで洞ヶ峠で傍観してたならクソ無能やろ
戦場に出ないで何しとるねん

24:名無しのJ民

あれは本能寺の変後のドタバタ期やろ
光秀につくか秀吉につくか、そりゃ迷うわ

28:名無しのJ民

光秀「順慶殿、出陣を!」
順慶「うーんこの...」
↑これ想像すると草生える

32:名無しのJ民

実際の洞ヶ峠は山城国と大和国の国境にあって、どっちに転んでもすぐに出動できる位置ではある
地理的には理にかなってる

33:名無しのJ民

真実だとして、何が一番面白かったかというと、光秀が完全に順慶を味方だと思ってたことやな

37:名無しのJ民

実際は光秀に味方するフリして、秀吉の動きを探ってたんやろ
外交戦略やん

38:名無しのJ民

いや、当時の史料に「洞ヶ峠で日和見」みたいな記述は一切ないんよ
これは江戸時代以降の軍記物や講談で広まった説

40:名無しのJ民

まじかよ
ワイずっと信じてたわ

41:名無しのJ民

戦国時代ってそういう創作話多いよな
真田十勇士とかもそうやし

45:名無しのJ民

でも順慶のイメージが「日和見」で定着してるのは事実やん
それだけ裏切りとか寝返りが日常茶飯事やったってことやろ

49:名無しのJ民

結局、光秀がもう少し頑張ってたら順慶も光秀側についてた可能性はある

51:名無しのJ民

それな
光秀が山崎で勝ってたら「順慶殿の素早いご判断!」とか言われてたかもしれん

54:名無しのJ民

歴史って勝者の都合で書かれるからな
秀吉側から見たら、順慶は「迷った挙句秀吉を選んだ賢明な武将」やし

57:名無しのJ民

ほんま歴史ってむずいな
教科書に書いてあること全部信じたらアカンのか

61:名無しのJ民

教科書は基本、通説を書いてるからな
異説や俗説は載らん

63:名無しのJ民

でも通説を疑う姿勢も大事やで
なんJ民はみんな疑ってかかるやろ?それが歴史探求の第一歩や

64:名無しのJ民

なんJ民が歴史探求とか草
ただの揚げ足取りやんけ

67:名無しのJ民

揚げ足取りも一種の探求やぞ
「これほんまか?」って疑問を持つことが大事なんや

71:名無しのJ民

結局、順慶はガセネタで損した武将ってことか?

73:名無しのJ民

いや、損はしてないやろ
「日和見」ってイメージは残ったけど、大和の領主としては安泰やったし

77:名無しのJ民

小早川秀秋とかいうガチ日和見

79:名無しのJ民

秀秋はガチで日和見やろ
あいつは優柔不断なだけや

83:名無しのJ民

秀秋は関ヶ原の戦犯やな
あれで西軍は崩壊した

85:名無しのJ民

藤堂高虎「ワイも日和見って言われるけど、結果的に家康に忠誠尽くしたやん」

88:名無しのJ民

高虎は寝返り名人やな
でもあれは主家が滅びたり、格上の大名に仕え直したりやから、順慶や秀秋とはちょっと違う気もする

89:名無しのJ民

松永久秀とかいう裏切り界のレジェンド

90:名無しのJ民

久秀は裏切りとか日和見とかの次元ちゃうやろ
完全に悪役や

94:名無しのJ民

でも久秀も結果的に織田に反抗して滅んだから、順慶と比べると明暗が分かれるな

97:名無しのJ民

順慶はなんだかんだ生き残ったからな
そういう意味では有能やろ

98:名無しのJ民

「洞ヶ峠」って言葉が現代まで残ってるのがすごいよな
それだけインパクトあったってことか

100:名無しのJ民

言葉だけが独り歩きしてるパターンやろ
「逆恨み」とか「濡れ衣」とかもそうなんかな

104:名無しのJ民

むしろ、後世の人が順慶を日和見の象徴にしたかったんちゃうか?
わかりやすい悪役というか、教訓というか

106:名無しのJ民

順慶は病弱だった説もあるから、戦場に出たくても出れなかった可能性もゼロじゃない

107:名無しのJ民

病弱なフリして傍観してた可能性も?

110:名無しのJ民


それもう確信犯やんけ

112:名無しのJ民

戦国時代って生き残るのが大変やからな
日和見も生き残るための知恵だったんやろ

115:名無しのJ民

現代の会社でもおるやろ?
上司の顔色伺って、どっちに付くかギリギリまで見極める奴

116:名無しのJ民

うわぁ、耳が痛い
ワイやんけ

120:名無しのJ民

そういう奴が結局出世するんだよなぁ

123:名無しのJ民

長いものに巻かれろ精神

126:名無しのJ民

順慶は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑全部に仕えたんやろ?

128:名無しのJ民

いや、順慶は信長と秀吉やな
家康が天下取る前に死んだで

131:名無しのJ民

すまん、早とちりしたわ
でも信長と秀吉の二人に仕えて、しかも大和一国安堵されてる時点でかなりのもんだよな

134:名無しのJ民

信長に気に入られるって結構難しいやろ

137:名無しのJ民

信長って一度疑うと容赦ないイメージあるけどな

139:名無しのJ民

光秀も信長に疑われた結果があれやし

143:名無しのJ民

順慶は信長の前では絶対ヘコヘコしてたと思うわ
「はい、信長様、仰せの通りに!」って感じで

147:名無しのJ民


想像したらちょっと可愛いな

151:名無しのJ民

でも信長も順慶の能力は認めてたんやろ
大和の支配を任せるくらいやし

155:名無しのJ民

順慶って他に何か有名なエピソードある?
洞ヶ峠以外で

156:名無しのJ民

法隆寺とか東大寺とかの寺社勢力と上手くやってたらしいで
大和の国人衆をまとめてたから、その手腕は評価されてる

160:名無しのJ民

なるほど、ただの日和見ってわけじゃないんやな

162:名無しのJ民

むしろ、大和という特殊な土地を治めるには、そういう慎重さが必要だったのかもしれない

163:名無しのJ民

寺社勢力って厄介やからな
武力だけじゃどうにもならん

167:名無しのJ民

交渉力とか政治力が高かったんやろな

170:名無しのJ民

結局、洞ヶ峠は「順慶が日和見だった」っていうイメージを補強するための創作ってことでええんか?

172:名無しのJ民

うん、それが今のところの通説やね
当時の一次史料にはない話

174:名無しのJ民

じゃあ、これからは自信持って「洞ヶ峠はガセ」って言えるな!

177:名無しのJ民

いや、でも「日和見」そのもののイメージは順慶に付きまとうから、完全に払拭できるわけじゃない

179:名無しのJ民

それが歴史の面白さやな
真実と虚構が入り混じって、人物像が作られていく

180:名無しのJ民

ワイが思うに、順慶は別に日和見じゃなくて、普通に状況判断してただけやろ
光秀の勢力が弱すぎるって冷静に判断しただけやん

184:名無しのJ民

それはそれで有能

188:名無しのJ民

「洞ヶ峠」という言葉だけが一人歩きして、順慶はいい迷惑やな

189:名無しのJ民

でもそのおかげで今、こうしてなんJで語られてるんやから、ある意味レジェンドやろ

193:名無しのJ民


確かに

194:名無しのJ民

じゃあワイも仕事で洞ヶ峠してても、誰も気づかんやろなぁ…

197:名無しのJ民

お前は洞ヶ峠で首切られる側やろ

200:名無しのJ民

ひでー!

201:名無しのJ民

今日の戦国歴史教室はここまで!

205:名無しのJ民

おつかれ!

208:名無しのJ民

勉強になったわ

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