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承久の乱とかいう後鳥羽上皇が無能晒しただけの戦い

1:名無しのJ民

マジでこれ
なんで勝てると思ったんやあいつ

2:名無しのJ民


言うほど無能か?

5:名無しのJ民

いや無能やろ
兵力も戦略もガバガバすぎる

6:名無しのJ民

京都中心の思考だったから、地方の武士がどれだけ幕府に忠誠誓ってるか分かってなかったんやろな

9:名無しのJ民

当時の武士にとって御恩と奉公は絶対だからな
朝廷とか遠い存在すぎた

12:名無しのJ民

後鳥羽院は文化人としては一流なんだがな…
政治力はマジでゼロ

13:名無しのJ民

源氏が途絶えて北条家が執権になって、これはチャンス!って思ったんだろうけど、完全に読み間違えたな

14:名無しのJ民

北条義時とかいうガチ有能

16:名無しのJ民

いや、義時は別に有能ってわけじゃなくね?
時政が築いた基盤があったからやろ

18:名無しのJ民

↑いや義時は有能やろ
幕府内で足元固めて、御家人をまとめ上げたのはでかいぞ

21:名無しのJ民

鎌倉殿の13人見てたけど、義時がラスボスみたいになってて草生えた

24:名無しのJ民

承久の乱って結局、武士社会の確立を決定づけた戦いやね

25:名無しのJ民

あの時、三浦義村が裏切ってなかったらどうなってたんだろ

29:名無しのJ民

三浦義村は結局どっちつかずで漁夫の利を狙ってただけちゃうんか?

33:名無しのJ民


いや、あれは義時側について幕府の権威を確立させたかったんやろ
結果的に幕府側が勝ったし正解だった

37:名無しのJ民

伊賀の方とかいう義時の妻も地味に有能だったんやろ

39:名無しのJ民

後鳥羽上皇が鎌倉の御家人の心を掌握しようとした形跡が全く見られないのがやばい

41:名無しのJ民

京で雅な生活送ってたら勝てると思ったんか?

42:名無しのJ民

そもそも関東武士は源頼朝に命懸けて尽くしてきたから、朝廷なんかにホイホイ従うわけないんだよなあ

44:名無しのJ民

後鳥羽院政は文化的には華やかだったんだが…

47:名無しのJ民

雅と武、圧倒的に武が勝った瞬間

49:名無しのJ民

後鳥羽上皇ってなんであんなに自信あったんやろな

52:名無しのJ民

院宣に力があると思ってたんだろうな
今の感覚だと分かりにくいけど、当時は「天皇の命令」って絶大な権威だったんだよ

55:名無しのJ民

でもその権威を武力でねじ伏せたのが鎌倉幕府なんだよなあ

58:名無しのJ民

いや、御家人が「上皇様の命令に従うべきでは?」って迷ったのは事実だろ
そこで義時が「死ぬなら幕府のために死ね」って言ったからまとまった

59:名無しのJ民

↑あれは北条政子のスピーチやろ

61:名無しのJ民

政子の演説はガチでレベチだったな
あれがなければどうなってたか分からん

64:名無しのJ民

「頼朝様の御恩を忘れたのか!」は効くわな

66:名無しのJ民

お前らの親父は頼朝様がおらんかったらどこぞの山で野垂れ死んでたぞって言われたら、そら反論できんわ

67:名無しのJ民

政子って結局頼朝の妾を許してたから精神的に強いよな

71:名無しのJ民

尼将軍とかいうパワーワード

75:名無しのJ民

結局、後鳥羽上皇は自分と幕府の力の差を見誤ってただけ

77:名無しのJ民

鎌倉幕府が朝廷の権威を完全に超えた瞬間だよな

79:名無しのJ民

この後、朝廷は武士に口出しできなくなるからな

80:名無しのJ民

後鳥羽上皇は芸術方面で才能発揮しとけばよかったのに

83:名無しのJ民

いや、芸術も政治もできてこそ真の王者よ

85:名無しのJ民

まあ、結果的に流刑になったからな

88:名無しのJ民

隠岐ノ島で和歌詠んでたのは知ってる

91:名無しのJ民

隠岐ノ島で地元の女と子供作ってたってマジ?

95:名無しのJ民

↑マジらしいで。隠岐の歴史を語る上では外せない人物

99:名無しのJ民

地味に隠岐の島に文化もたらしたんやろ?

101:名無しのJ民

結局、後鳥羽上皇は武士の社会がどういうもんか理解してなかった

102:名無しのJ民

幕府側の準備も周到だったんだよなあ

106:名無しのJ民

義時が事前に根回ししてたのも大きい

108:名無しのJ民

京方と鎌倉方で戦力差どれくらいだったんや?

110:名無しのJ民

最初から鎌倉方が圧倒的だった
京方は集まった兵も烏合の衆で士気も低かったらしい

113:名無しのJ民

後鳥羽上皇がもう少し冷静だったら、別の展開もあったのかね

115:名無しのJ民

いや、もう武士の時代だったから無理やろ

118:名無しのJ民

でも、後鳥羽上皇は武士の力借りて院政敷いてたんだから、武士を理解してないってのはおかしいんじゃね?

121:名無しのJ民

それは有力な武士を使ってただけで、関東の武士全体の地盤を理解してなかったってことやろ

122:名無しのJ民

京方の武士もいたんだから、一概には言えんやろ

123:名無しのJ民

当時の京方の武士って言うても、朝廷に仕えてるから武士っていうだけで、戦闘力は低かったんちゃうか

127:名無しのJ民

鎌倉武士は実戦慣れしとるからな

128:名無しのJ民

いや、京方も源氏の残党とか有力な武士もいたにはいたぞ
ただ、まとまりがなかった

130:名無しのJ民

後鳥羽上皇の政治センスはともかく、文化人としての評価は高いのは事実やな

134:名無しのJ民

承久の乱は日本史のターニングポイントの一つだよな

135:名無しのJ民

これ以後、朝廷は政治の実権を取り戻すことはできなくなる

137:名無しのJ民

武家政権の揺るぎない確立やね

140:名無しのJ民

この後、元寇とかあって幕府も大変になるけどな

141:名無しのJ民

元寇は鎌倉幕府の求心力低下のきっかけになったけどな

145:名無しのJ民

「御恩と奉公」が揺らいだのが元寇の後やな

146:名無しのJ民

それはまた別の話やろ
承久の乱は武士の時代を決定づけた

149:名無しのJ民

結局、後鳥羽上皇が「俺TUEEEEEE」って思ってただけやろ

150:名無しのJ民

いや、あの時点では朝廷の方が格上ってのが常識だったからしゃーない

152:名無しのJ民

その常識をぶち壊したのが北条義時と政子や

154:名無しのJ民

後鳥羽上皇がもっと人心掌握術に長けてたらワンチャンあったんか?

155:名無しのJ民

無理やろ
武士は土地と命懸けてるからな

157:名無しのJ民

土地って言うても、朝廷は武士に与える土地がもうなかったんやろ?

161:名無しのJ民

それが問題やね
幕府は征夷大将軍として土地の分配権を持っていたけど、朝廷にはそれがない

163:名無しのJ民

つまり武士にとっては幕府の方が頼りになる存在だったってことか

164:名無しのJ民

そういうことやな

165:名無しのJ民

結局、金だよ金

168:名無しのJ民

後鳥羽上皇は自分の権威だけで武士が動くと思ってたのが甘かった

172:名無しのJ民

武士は実利主義だからな

175:名無しのJ民

でも、幕府側も一枚岩じゃなかったって言うやん?

177:名無しのJ民

それはそう
でも、北条政子の演説でまとまったんや

178:名無しのJ民

あの演説がなければマジで分かれてた可能性ある

179:名無しのJ民

政子って歴史に名を残す女性だよな

183:名無しのJ民

源頼朝がいなくなってからが本番みたいなところあるよな

187:名無しのJ民

北条氏の存在感が増していくんやな

190:名無しのJ民

伊賀の方とかいう地味に有能な嫁もいたし

194:名無しのJ民

承久の乱で朝廷が負けたことで、日本は武士の国になったって言っていいくらいだな

198:名無しのJ民

鎌倉幕府の支配体制が盤石になった

202:名無しのJ民

この頃の鎌倉武士の生活ってどんなんだったんやろ

203:名無しのJ民

質素倹約を旨とする、みたいなイメージ

207:名無しのJ民

武士の鑑みたいな生活してたらしいな

211:名無しのJ民

いや、当時の武士も贅沢してた奴は贅沢してたぞ

212:名無しのJ民

土地持ちの武士はそれなりに裕福だったんだろうな

216:名無しのJ民

承久の乱はまさに「転換点」だね

217:名無しのJ民

後鳥羽上皇もまさか隠岐ノ島で一生を終えるとは思ってなかったやろ

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