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室町幕府、なぜあんなにぐだぐだだったん?

1:名無しのJ民

なんで足利将軍家って代々争ってばっかなん?
兄弟で殺し合い、親子で対立、守護大名もやりたい放題で、鎌倉幕府とか江戸幕府に比べて統治が雑すぎないか?

2:名無しのJ民

ぐだぐだ通り越して内乱しかしてないイメージ

5:名無しのJ民

鎌倉は初期からしっかりしてたし、江戸は盤石すぎたもんな
室町だけなんか常にキナ臭い

9:名無しのJ民

足利尊氏が根っこから悪人だった説
あいつが最初から安定を望んでなかったんだろ

13:名無しのJ民

それは言い過ぎだろw
尊氏も最初は苦労人なんだよなぁ
ただ将軍としてはカリスマ性はあるけど実務能力がね…

14:名無しのJ民

観応の擾乱とかいう日本の内戦史でもトップクラスにややこしいやつ

16:名無しのJ民

将軍が京都から出たがらないニート気質だったからやろ
地方の有力者に舐められまくってた

20:名無しのJ民

いや、地方でゴタゴタがあっても中央に兵力集中してたら結構鎮圧できたやろ
それが出来んかったのが室町の弱さや

22:名無しのJ民

京都に幕府置いたのが間違い
鎌倉みたいに武士の本拠地から離れたところに置くべきだった

23:名無しのJ民

いや、鎌倉も地味に京都との距離で権力闘争あったやん
朝廷を監視しやすい京都のほうが理にかなってる面もある

26:名無しのJ民

足利義満だけが輝いてたイメージ
あいつがいなきゃもっと早く終わってた

29:名無しのJ民

義満はマジで有能だったな
日明貿易とか寺社勢力の懐柔とかめっちゃ頑張った

32:名無しのJ民

三代将軍にしてピークとかいう幕府としてどうなのそれ

36:名無しのJ民

まあ義満も死後すぐグダグダになったしな
所詮一代のカリスマではどうにもならなかったってことよ

40:名無しのJ民

結局、守護大名の力が強すぎたんやろ
鎌倉時代は御家人、江戸時代は大名だけど、室町時代の守護はマジで地方の王様だった

43:名無しのJ民

これだよな
将軍からの恩恵よりも自分の領地の利益がデカすぎたから、将軍家に従うメリットが薄かった

44:名無しのJ民

なんかあれだろ? 将軍は趣味の茶道とか能ばっかやってて、政治は管領に丸投げしてたんだろ?

47:名無しのJ民

実際、その傾向はあった
足利義政とかマジで遊び人だったしな
応仁の乱中に銀閣寺建ててたとか舐めとんのかって話

48:名無しのJ民

ニートの趣味が文化として花開いたとかいう皮肉
北山文化とか東山文化とか言われてるけど、背景は将軍の無関心

49:名無しのJ民

いや、文化史的にはそこは評価されてるんだよな
武家文化と公家文化が融合した独自のものが生まれたわけだし

52:名無しのJ民

結果オーライってやつか
でも国民(当時はそんな概念ないけど)からしたらたまったもんじゃねえわな

53:名無しのJ民

守護大名が戦国大名に成長する過渡期みたいなもんだろ
将軍が権力握るより、下剋上が起こりやすい時代だった

55:名無しのJ民

下剋上の時代だったからこそ、将軍が権威を保てなかった
実力主義になりすぎた弊害

59:名無しのJ民

言うて将軍の権威って朝廷の権威を借りてる部分も大きかったからな
武力で押さえつける力がなければ、守護大名も「はいそうですか」とはならん

60:名無しのJ民

足利政権って、鎌倉幕府が持ってた「御恩と奉公」のシステムをうまく引き継げなかったからって聞くけど、どうなん?

61:名無しのJ民

まさにそれ
武士団が将軍に直接的に忠誠を誓う形じゃなくて、守護を介しての間接的な統治になったから、将軍の求心力が弱かった

63:名無しのJ民

じゃあなぜそうならなかったのかって話よな
尊氏が制度設計ミスったんか?

64:名無しのJ民

尊氏が制度設計とかできるかよ
戦うことしかできない脳筋だったんだから

68:名無しのJ民

まあ、尊氏が武士の棟梁としてカリスマ性があったのは間違いないが、統治機構をガッチリ固めるタイプではなかったわな

72:名無しのJ民

尊氏、義満、義政あたりは名前覚えてるけど、それ以外の将軍は存在感が薄すぎる

73:名無しのJ民

室町幕府の将軍って、足利学校とか作ったイメージあるけど、教育熱心だったんかな?

76:名無しのJ民

足利学校は足利義氏が開いたとされるから、室町幕府とはちょっと時代が違うぞ
ただし、足利氏とは関係ある

78:名無しのJ民

マジか! ずっと室町幕府がやったのかと思ってたわ
勉強になったサンガツ

80:名無しのJ民

なんか足利将軍って代々病弱だったり、早死にしたりするイメージあるわ
将軍職が祟られてたのか?

83:名無しのJ民

それより、将軍が強かったら応仁の乱なんて起きなかったんだろ?
京都があんなに焼け野原になるなんて、統治者として失格やん

85:名無しのJ民

応仁の乱はマジで酷い
あそこから戦国時代に突入するんだから、室町幕府の落ちぶれっぷりよ

86:名無しのJ民

応仁の乱は、将軍家の家督争いと管領家の家督争いが絡み合って、それに守護大名が乗っかった結果だから、構造的な問題が爆発したって感じやな

88:名無しのJ民

つまり、将軍家と管領家がまともに機能してなかったってことやん

91:名無しのJ民

結局、室町時代は「公家と武家の二重支配体制」が崩壊した時代とも言える
朝廷の権威はまだあるけど、実権は武家
その武家も将軍がまとまりきれなかった

95:名無しのJ民

鎌倉時代は武家優位だったけど、室町は武家同士で牽制し合ってたんか

99:名無しのJ民

経済的な背景もあるんじゃないの?
鎌倉時代より農業生産上がって、商人も力つけてたし
貨幣経済が発達して、幕府の年貢以外の収入源が増えた結果、守護大名とかが潤って幕府への依存度が減った、みたいな

100:名無しのJ民

それはかなりあると思う
商業都市が発達したり、土一揆・徳政一揆が頻発したりするのも、経済的な変化の表れやな

101:名無しのJ民

なるほど、ただの政治的な問題だけじゃなかったんやな

103:名無しのJ民

室町幕府がぐだぐだだったのは、元々鎌倉幕府の体制をリスペクトしすぎたからって説もあるぞ
時代に合ってないシステムを無理やり使おうとした結果、綻びまくったと

107:名無しのJ民

へー、そういう見方もあるんか
尊氏は鎌倉幕府倒したけど、そのやり方は踏襲したかったんやな

108:名無しのJ民

そうそう
武士の棟梁としての在り方を模索した結果、結局鎌倉の二番煎じになってしまった
でも鎌倉の組織力と比べたら足元にも及ばなかったと

111:名無しのJ民

将軍の立場が弱かったってのはよく言われるけど、なんで弱かったのかっていうと、やっぱり足利氏が単独で政権を担いきれなかったからやろ
斯波とか細川とか畠山とか、管領の力が強すぎた

115:名無しのJ民

三管領とか四職とかいうシステム自体が、将軍の権力を分散させる結果になった気もする

116:名無しのJ民

あれって、将軍がワンマンになるのを防ぐためのチェック機能だったんだろうけど、度が過ぎたわな

117:名無しのJ民

足利将軍って、ほとんど京都に引きこもってて、地方の豪族とか武士には顔も知られてないみたいな状態だったんちゃう?
だから誰も言うこと聞かなかった

120:名無しのJ民

義満は別格として、他の将軍はそういう側面もあったかもな
江戸時代の将軍が参勤交代で地方大名を手懐けたのと対照的だわ

121:名無しのJ民

でも、ぐだぐだだったからこそ、各地で独自の文化や勢力が育ったとも言える
戦国時代への布石になったのは間違いない

124:名無しのJ民

ポジティブにとらえすぎやろw
普通に内戦しまくって国力疲弊してただけやん

125:名無しのJ民

いや、地方で経済が発展したり、独自の武士団が力つけたりしたのは事実やで
中央集権が弱かったからこその多様性みたいなものもあったんや

129:名無しのJ民

わかる
中央に振り回されずに地方で勝手に盛り上がってた期間みたいなもんやな

133:名無しのJ民

あと、後醍醐天皇との関係性も影響してるんじゃないの?
建武の新政があんなぐだぐだになったせいで、足利幕府も出だしからつまずいた感

134:名無しのJ民

それもある
足利尊氏が朝廷から離反して室町幕府を開いたから、正統性が微妙だった

135:名無しのJ民

南北朝時代とかいう泥沼を幕府の初期に抱え込んでた時点で運が悪い

139:名無しのJ民

建武の新政自体が、公家優遇で武士の不満爆発させてたし、それが足利尊氏挙兵の背景にもあるからな
後醍醐天皇もなかなかやばい人だった

141:名無しのJ民

結局、足利尊氏がカリスマありすぎて、自分がいなくなった後のこと考えてなかったんじゃね?
属人的な組織になってたんだろ

144:名無しのJ民

それはありそう
尊氏の求心力だけで成り立ってた部分はある

146:名無しのJ民

なんか今の会社にも通じるものがあるな
創業社長はカリスマだけど、後継者がダメで、部署同士が足の引っ張り合いして、会社全体がぐだぐだになる感じ

149:名無しのJ民


室町幕府はブラック企業だった…?

152:名無しのJ民

終身雇用(将軍)だけど、実力主義(下剋上)で、社内政治(応仁の乱)が激しすぎる

154:名無しのJ民

ブラックすぎワロタ
ワイの会社も室町幕府みたいにならないように頑張ってほしいわ

155:名無しのJ民

でも、そんなぐだぐだの時代に能とか茶道とか水墨画とか、めちゃくちゃハイレベルな文化が花開いたのが不思議やな

159:名無しのJ民

ぐだぐだでも、京都の上流階級は割と平和に暮らせてたってことやろ
戦乱は地方がメインだったり、京都でも一時的なものだったり

163:名無しのJ民

戦乱の世だからこそ、人々が精神的なよりどころを求めて文化に傾倒した、という見方もできる

167:名無しのJ民

室町幕府って、実は結構有能だったって最近の研究だと言われてるらしいぞ
意外と税制とかしっかりしてたとか

169:名無しのJ民

え、マジ?
どのへんが有能だったん?
ぐだぐだのイメージしかないんだが

173:名無しのJ民

例えば、守護領国制の確立とか
地方を統治する仕組み自体は作ってた
それが後々戦国大名が育つ土壌になったわけだけど

177:名無しのJ民

あとは、勘合貿易で安定した収入源を確保してたしな
公家や寺社勢力とのバランスも、意外と取れてた期間もある

180:名無しのJ民

つまり、見る角度によっては評価が変わるってことか
表面上の争いばっかり見てたらぐだぐだに見えるけど、中身はそれなりに機能してた、みたいな?

183:名無しのJ民

そうそう
あと、足利将軍家って、将軍権力が弱かった割には結構長続きしたんだよな
そこも評価点として見れる

187:名無しのJ民

家康が盤石にしすぎたから、室町幕府が相対的にダメに見えるだけで、実はあんなもんなんかな?

189:名無しのJ民

江戸幕府が異常なレベルで安定してただけで、むしろ室町幕府の方が当時の一般的な政権運営としては普通だった、って意見もあるぞ

190:名無しのJ民

なるほど、比較対象がおかしいと。
じゃあ、応仁の乱とかは避けて通れなかった必然的な事象だったのか

194:名無しのJ民

そういう見方もあるな
地方の自立性が高まっていく中で、中央政権がそれを抑え込むのは難しかったと

195:名無しのJ民

織田信長とか豊臣秀吉が出てくる下地を作ったと考えると、室町幕府も重要だったってことやな

197:名無しのJ民

戦国時代がなければ信長も秀吉も出てこなかったわけだし、そう考えると室町時代の役割は大きい

200:名無しのJ民

室町時代って、ある意味で日本の地方分権の原型だったのかもしれないな
各地域が独自に発展していった

202:名無しのJ民

それがそのまま戦国大名になるわけやな

205:名無しのJ民

結局、足利将軍家が武力と権威の両方で圧倒的じゃなかったのが原因なんやろ
鎌倉は頼朝という絶対的なカリスマがいたし、江戸は家康という知将がいた

208:名無しのJ民

尊氏もカリスマはあったけど、カリスマと統治能力は別物だったってことやろな

209:名無しのJ民

室町将軍は天皇みたいになってた説
権威はあるけど実権はないみたいな

210:名無しのJ民

天皇よりは実権あったけど、守護大名には及ばなかったって感じやろ

214:名無しのJ民

足利将軍は将軍として戦場に出ることが少なかったから、武士からの信頼も薄れたんやろ
義満とか文化人だし

216:名無しのJ民

足利義輝とか剣豪将軍とか言われてるけど、結局は暗殺されたしな
室町幕府の末期はもうどうしようもなかった

220:名無しのJ民

でも室町時代って、意外と民衆はたくましかったイメージ
土一揆とかで自分たちの要求を突きつけたりしてたし

222:名無しのJ民

それは現代のデモに近いかもな
中央の支配が緩い分、民衆の力が強まった時期だったのかも

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