1:名無しのJ民
まず津軽藩ってどこやねんから始まるんやろな
3:名無しのJ民
わかる
確か今の青森の一部だっけ?
6:名無しのJ民
青森の西部やで
弘前とかあっち
南部藩と仲悪すぎたことで有名
8:名無しのJ民
津軽って言うと林檎とねぷたしか出てこんわ
歴史ネタあったんか
9:名無しのJ民
>>4
歴史ネタのデパートやぞ
全部闇深
13:名無しのJ民
津軽藩を最初に興した津軽為信とかいう下剋上マシーン
元々は南部家の家臣やったのに裏切って独立したんやっけ
15:名無しのJ民
>>6
そうそう
南部家が小田原参陣してる隙に一気に領土奪い取った鬼畜
秀吉公のお墨付き貰って独立大名になっちゃった
18:名無しのJ民
なんJ民が好きなタイプの下剋上やん
信長もびっくりのえげつなさ
22:名無しのJ民
しかも裏切るにあたって味方だったやつも平気で切り捨てたからな
マジで為信はサイコパス
24:名無しのJ民
南部家との犬猿の仲はこれに端を発するのか
参勤交代でわざわざ南部領避けて遠回りしてたってマジ?
27:名無しのJ民
>>10
マジやで
陸奥湾を船で突っ切って南部領避けたり
江戸への道のりもわざわざ遠回りルート選んでたらしい
どんだけ嫌いやねんwww
30:名無しのJ民
江戸でも津軽藩と南部藩の武士がしょっちゅう喧嘩してたって聞くな
居酒屋とかで偶然会ったらヤバかったんやろな
34:名無しのJ民
居酒屋で「おら津軽もんじゃ!」とか言って絡むのか
「んだんだテメー南部じゃねーか!」
38:名無しのJ民
>>13
草生える
藩同士のメンツがあるから引くに引けなかったんやろな
39:名無しのJ民
つーか南部藩も津軽を正式な大名とは認めてなかったんだっけ
ずっと「あいつらは元家臣」ってスタンス
42:名無しのJ民
>>15
そうやで
秀吉が津軽為信を大名として認めちゃったから、幕府もそれに倣ったけど
南部家はずっと認めなかった
恨み骨髄ってやつやな
43:名無しのJ民
津軽藩の江戸屋敷と南部藩の江戸屋敷が近かったら洒落にならんな
47:名無しのJ民
>>17
調べてみたら結構近かったらしいぞwww
日常的にイザコザあったんやろな
50:名無しのJ民
まーた津軽藩が隣の南部藩に嫌がらせしてる…
これもういじめだろ
52:名無しのJ民
津軽藩はなんでこんなに奇行が多いんやろか
やっぱ北の僻地だからか?
54:名無しのJ民
>>20
独特の文化が発展した側面もあるけど、
根本には南部藩への対抗意識と
大浦氏が津軽氏に成り上がったという後ろめたさがあるんやないか
56:名無しのJ民
真面目なレス混ざってて草
それっぽいな
60:名無しのJ民
津軽弁とかいう方言のラスボス
あれもう外国語やろ
63:名無しのJ民
>>23
んだんだ
津軽弁で「んだ」って言ったら「そうだ」って意味になるんやで
知っとるか?
66:名無しのJ民
「どんだば」「んだべ」
わけわからん
68:名無しのJ民
津軽の殿様が参勤交代で「わらは南部領など通らぬわ!船じゃ船!」とか言ってたら草
70:名無しのJ民
船で海路行く方が大変やろ普通
どんだけ南部藩が嫌いなんや
73:名無しのJ民
殿様「海は荒れる日もあるが南部藩の顔を見るよりマシ」
75:名無しのJ民
>>28
草不可避
殿様もやべー奴だったんか
76:名無しのJ民
津軽藩の領地って米取れにくかったんだっけ?
飢饉の時とか悲惨そう
79:名無しのJ民
>>30
東北の他藩と同じく、冷害による飢饉は常態化してた
特に天明の大飢饉とかは地獄絵図やったらしいで
藩も結構対策はしてたらしいけど、限界があった
82:名無しのJ民
真面目レス助かる
やっぱ歴史って奥深いな
86:名無しのJ民
津軽藩の珍しい逸話だと、鎖国中に蝦夷地とコッソリ交易してた疑惑とかもあるよな
ロシアとかアラスカとかそっち方面と
87:名無しのJ民
>>33
お!いいネタ出てきたな!
蝦夷地とは昔から交易してたし、アイヌとも繋がり深かったからな
幕府の目を盗んでウハウハだった可能性ある
88:名無しのJ民
密貿易とかマジかよ
北の海の男って感じやな
かっこいい
91:名無しのJ民
藩主が幕府にバレないように「これは蝦夷の産物だべ」とか言ってゴマかしてたんかな
95:名無しのJ民
幕府「これは異国の品ではないのか?」
津軽藩「んだ、これは蝦夷の地の、へばこれ」
幕府「う、うむ…」
99:名無しのJ民
>>37
津軽弁で押し切るんじゃねーよwww
102:名無しのJ民
津軽って言うと太宰治のイメージが強い
あの人も津軽出身やっけ?
106:名無しのJ民
>>39
そうやで、金木町の出身
津軽って独特の空気感あるからな
そういうのが文学にも影響してるんかも
108:名無しのJ民
津軽藩の城って弘前城だっけ?
あそこめっちゃ美しいよな
109:名無しのJ民
>>41
せやで
現存天守だし、桜の名所としても有名
あれも最初は為信が建てようとしたけど、途中で死んで2代目が完成させたんやっけな
111:名無しのJ民
なんか藩祖の為信がちょっと浮きまくってる感じがするわ
南部を裏切りまくって、秀吉に媚びて、でも幕府には警戒されてみたいな
113:名無しのJ民
>>43
完全に下剋上成功者やからな
成り上がりの苦労と、それゆえの藩の不安定さみたいなものが常について回るイメージ
115:名無しのJ民
>>44
なるほどな
だから藩の運営もちょっと尖ったところがあったりするんか
116:名無しのJ民
津軽の殿様は江戸時代になっても「我らは独立した国じゃ!」みたいな意識高そう
120:名無しのJ民
青森の他の地域と比べても津軽ってなんか雰囲気違う気がするわ
南部藩領だった八戸とか盛岡とかと
123:名無しのJ民
>>47
そりゃ歴史が違うからな
南部藩は南部藩で独自の文化圏やし
125:名無しのJ民
津軽藩と南部藩の抗争を描いたドラマとかねーかな
面白そう
129:名無しのJ民
>>49
大河ドラマで津軽為信を主人公にするとかありそう
下剋上、秀吉との関係、南部との因縁
ネタには困らんやろ
130:名無しのJ民
津軽って雪すごいんやろ?
冬とかどうやって生活してたのか気になるわ
132:名無しのJ民
>>51
雪はすごいぞ
昔は今より交通手段も限られてたから、冬は完全に閉鎖された世界やったやろな
だからこそ独自の文化が発展したんかもしれん
134:名無しのJ民
江戸時代の津軽の武士とか町人って、江戸の人から見たらどう思われてたんやろ
田舎者だけどなんか独特のオーラあるみたいな
136:名無しのJ民
>>53
言葉も通じにくいし、警戒されてたんちゃうか
特に南部藩士からは嫌がらせされてたろうし
140:名無しのJ民
津軽藩の地味な功績として、北辺防衛の最前線だったってのもあるな
蝦夷地とロシアに睨み利かせとったんやろ
143:名無しのJ民
>>55
確かにそれはデカい
幕府もその辺は評価してたはず
だから為信の独立も許されたんかもな
145:名無しのJ民
お前ら急に真面目になって草
なんJの歴史スレはこれがあるから好き
146:名無しのJ民
津軽藩の殿様って代々結構個性的な人が多かったんか?
150:名無しのJ民
>>58
為信以降も、藩政改革に熱心な殿様や、学問に打ち込む殿様もいたけど
基本的には南部への対抗意識は持ち続けてたみたいやね
152:名無しのJ民
津軽藩のお家騒動とかもググると結構出てくるで
黒石津軽家との対立とか
156:名無しのJ民
津軽藩って結局どのくらい続いたん?
明治維新で終わり?
158:名無しのJ民
>>61
そうやで
明治維新で廃藩置県になって終わり
でも旧藩士たちは新しい時代でも活躍した人も多い
162:名無しのJ民
津軽のサムライってなんか強そう
雪国の厳しい環境で鍛えられてそうやし
165:名無しのJ民
>>63
そうやろな
寒さの中での訓練とかヤバそう
南部藩士との喧嘩もガチやったんちゃうか
169:名無しのJ民
昔の津軽地方ってどんな風景やったんやろ
今とは全然違うんやろうな
170:名無しのJ民
>>65
手付かずの自然が多かったやろうな
今の津軽平野も昔はもっと湿地帯とかも多かったんちゃうかな
開発が進んでない分、原生林とかも多そう
173:名無しのJ民
為信が家臣を裏切って南部を倒そうとしたけど、南部側にも為信に味方する家臣がいたとかいう情報見つけて震えた
マジで策謀の限りを尽くした男やな
177:名無しのJ民
>>67
為信は家臣の森山弥七郎とかいうキレ者を使って謀略を巡らせたからな
この弥七郎もすごい人物やで
180:名無しのJ民
森山弥七郎って誰や
津軽版黒田官兵衛か?
184:名無しのJ民
>>69
まさにそんな感じ
南部信直との和睦交渉とかもこの人がやったんやっけ
すごい切れ者だったらしい
188:名無しのJ民
津軽藩を語る上で欠かせないのが、津軽三味線やろ
あの独特の音色、北の厳しい自然が生み出したんやな
191:名無しのJ民
>>71
確かに!文化的な側面も大事やね
あれは津軽の魂や
195:名無しのJ民
津軽藩の藩校とかもあったんかな?
意外と教育熱心だったりして
199:名無しのJ民
>>73
あったで
「明徳堂」っていう藩校
結構学問にも力を入れてたみたい
202:名無しのJ民
なんかこう、ひねくれ者だけど、いざって時に頼りになる兄貴分みたいな藩やな津軽って
206:名無しのJ民
>>75
わかる
北の伊達者って感じ
210:名無しのJ民
津軽の殿様が江戸で南部藩士と鉢合わせして舌打ちしてる図が目に浮かぶわ
211:名無しのJ民
>>77
「けっ!南部もんめ!」ってな
214:名無しのJ民
東北の藩って地味なイメージあったけど、津軽藩はめっちゃ個性的やな
216:名無しのJ民
>>79
他の藩もそれぞれ面白いエピソードあるけどな
でも津軽は南部との因縁が強すぎて目立つ
220:名無しのJ民
津軽藩は徳川幕府にも結構気に入られてた部分もあったんやっけ?
大名としての格を与えられたり
223:名無しのJ民
>>81
最初は外様大名として警戒されてたけど
北辺防衛の重要拠点として、徐々に幕府からの信頼を得ていった部分はあるやろな
将軍家との婚姻とかも行われたし
225:名無しのJ民
へー、幕府も柔軟に対応してたんだな
ちょっと見直したわ
227:名無しのJ民
結局津軽藩の奇行の源泉って何なんやろ
下剋上?南部との因縁?北の果てだから?
230:名無しのJ民
>>84
全部やろな
複合的な要因で独自性を強めていったんやと思う
面白いよな
233:名無しのJ民
ワイも津軽行って弘前城見て、津軽三味線聞いて、リンゴ食いたくなってきたわ
234:名無しのJ民
>>86
ええやん!歴史に触れる旅も悪くないで
238:名無しのJ民
津軽藩のスレなのに、急に旅行スレになりかけてて草
241:名無しのJ民
なんか、歴史の教科書には載ってない面白さが津軽藩にはあるわ
245:名無しのJ民
>>89
それが地方史の醍醐味やな
有名どころだけじゃなくて、こういうマイナーなとこにも光当てていくと楽しい
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