1:名無しのJ民
誰やそれ
2:名無しのJ民
知らねーよそんなマイナーなやつ
3:名無しのJ民
奈良時代やぞ
6:名無しのJ民
吉備真備と玄昉への私怨やろ?
9:名無しのJ民
それ以外ないやろ
13:名無しのJ民
私怨を国家レベルでやるとか、スケールでかすぎやろ
14:名無しのJ民
大宰府で反乱起こしたやつだろ
18:名無しのJ民
新羅を巻き込もうとしたとかいう説もあるよな
20:名無しのJ民
当時の日本って新羅と仲悪かったの?
23:名無しのJ民
仲良くはないな。むしろ警戒してた
24:名無しのJ民
真備と玄昉が朝廷で出世したのが気に食わなかっただけだろ
28:名無しのJ民
まーた学者が私怨って言ってるのか
29:名無しのJ民
実際、真備と玄昉が権力握りすぎたのが原因やろ
32:名無しのJ民
玄昉とかいう坊主、女癖悪かったらしいしな
33:名無しのJ民
坊主が女とか、それもう坊主ちゃうやん
36:名無しのJ民
当時の仏教界はマジで腐敗してたからな
38:名無しのJ民
玄昉は遣唐使で帰国したエリート中のエリートやぞ
40:名無しのJ民
そいつが調子に乗って朝廷牛耳ろうとしたから反感買ったんやろ
44:名無しのJ民
広嗣は藤原式家だから、血筋は悪くないんだよな
47:名無しのJ民
藤原氏の内部抗争って側面もあるんか?
50:名無しのJ民
もちろんだろ。藤原四兄弟が疫病で死んで、権力構造がガタガタになってた時期やし
52:名無しのJ民
疫病で死んだのは天罰って言われてたしな
56:名無しのJ民
広嗣も天罰だと思ってたのかな
59:名無しのJ民
当時は疫病とか災害は「〇〇の祟り」みたいに思われてたからな
63:名無しのJ民
広嗣「玄昉と真備のせいで国が乱れてる!ワイが正す!」みたいなノリ?
65:名無しのJ民
中二病こじらせたタイプやな
69:名無しのJ民
「朝敵を討つ」とか言ってたんやろ?
73:名無しのJ民
そうそう。「吉備真備と僧玄昉を誅殺せよ」って上奏文まで出してる
75:名無しのJ民
直球すぎるだろ
77:名無しのJ民
清々しいほどの私怨で草
78:名無しのJ民
それ朝廷が認めるわけないだろ
81:名無しのJ民
そりゃ反乱になるわ
84:名無しのJ民
で、結果どうなったんだっけ?
86:名無しのJ民
広嗣は追討されて捕まって斬首
87:名無しのJ民
あっさり終わったんやな
91:名無しのJ民
いや、兵力は結構なもんだったらしいぞ。九州全域巻き込むレベル
93:名無しのJ民
でも中央から派遣された精鋭部隊に敗れたんや
96:名無しのJ民
九州の兵士は中央軍に勝てなかったんか
99:名無しのJ民
そらそうよ。中央にはエリートおるし
101:名無しのJ民
この反乱の後、都が平城京から恭仁京に遷都するんだよな
104:名無しのJ民
そう!聖武天皇がビビって逃げ出した説
106:名無しのJ民
つまり広嗣は、聖武天皇をビビらせるくらいの大物だったってことか?
107:名無しのJ民
いや、そこはちょっと違うと思うぞ
111:名無しのJ民
聖武天皇は仏教に帰依してたから、玄昉を排除するわけにはいかんかったんやろ
112:名無しのJ民
玄昉は聖武天皇のお気に入りやったからな
116:名無しのJ民
広嗣は結局、朝廷の体制を変えたかったのか、ただの私怨だったのか
120:名無しのJ民
両方やろ
123:名無しのJ民
個人的な憎しみと、当時の社会情勢が絡み合った結果
127:名無しのJ民
それが歴史の常やな
131:名無しのJ民
でも大宰府から中央に意見するって、相当やばいことだよな
134:名無しのJ民
地方豪族が中央に喧嘩売るみたいなもんやろ
138:名無しのJ民
当時の大宰府って、今の沖縄とか北海道みたいな最重要拠点だったんやろ?
140:名無しのJ民
九州の防衛拠点やな。外交の最前線
142:名無しのJ民
そこで反乱とか、国を揺るがすレベルやん
143:名無しのJ民
だから聖武天皇もビビって遷都したんやろ
146:名無しのJ民
恭仁京、難波宮、紫香楽宮、そして東大寺とか、遷都しまくった時期やん
150:名無しのJ民
聖武天皇ブレブレで草
153:名無しのJ民
そりゃ疫病とか災害続きで不安だったんやろ
156:名無しのJ民
広嗣の乱も、その不安を煽った一因だったな
159:名無しのJ民
しかし私怨で国動かすとか、なんJ民も真っ青やな
163:名無しのJ民
「〇〇死ね」をリアルでやった感じか
167:名無しのJ民
しかもそれに賛同する奴らが結構いたってのが闇深い
171:名無しのJ民
それだけ玄昉と真備が嫌われてたってことやろ
172:名無しのJ民
遣唐使組が調子乗って日本の伝統ぶっ壊そうとしてたからな
173:名無しのJ民
伝統派と改革派の対立って構図は今も昔も変わらんな
175:名無しのJ民
広嗣は旧来の貴族の代表だったんか?
179:名無しのJ民
そういう側面もあったやろな
182:名無しのJ民
でも結局負けて死んだから、歴史の教科書では「失敗した反乱」としてサラッと流される
186:名無しのJ民
そら勝てば官軍やし
190:名無しのJ民
広嗣が勝ってたら、玄昉と真備が反逆者になってたってことか
192:名無しのJ民
その通り
196:名無しのJ民
歴史って常に勝者の物語やからな
198:名無しのJ民
勝者の物語を鵜呑みにしちゃいけないってことか
199:名無しのJ民
そういうことや
202:名無しのJ民
でも広嗣って、なんかかっこいい響きだよな
206:名無しのJ民
広嗣ニキ、無念やったな
207:名無しのJ民
広嗣の乱って、なんか厨二病っぽくて好き
208:名無しのJ民
反乱の理由が私怨ってとこが人間臭くてええやん
210:名無しのJ民
私怨を国家レベルで昇華させようとした男
212:名無しのJ民
壮大すぎるやろ
216:名無しのJ民
それだけ当時の権力闘争が激しかったってことやな
220:名無しのJ民
貴族社会のドロドロした部分が見える
224:名無しのJ民
なんか現代の政治家とかも、裏ではこんな感じなんやろか
227:名無しのJ民
どうやろな。でも人間ってそんなに変わらんやろ
230:名無しのJ民
結局、広嗣は正しかったのか?
231:名無しのJ民
正しかったかどうかは分からんけど、彼の行動が歴史を動かしたのは確かや
235:名無しのJ民
聖武天皇の遷都も、東大寺大仏建立も、この乱がきっかけの一つやからな
236:名無しのJ民
マジ?そりゃすげえな
238:名無しのJ民
結局、大仏建立は鎮護国家のためやからな
241:名無しのJ民
仏教で国を護ろうとした聖武天皇の思想は、広嗣の乱から来てるとも言える
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