1:名無しのJ民
そらそうよ
2:名無しのJ民
ワイなら絶対行かんわ
3:名無しのJ民
成功率低すぎて草
4:名無しのJ民
片道切符みたいなもんやろ
8:名無しのJ民
あれってマジで九死に一生だったんだよな
11:名無しのJ民
当時の航海技術で太平洋横断しようとするようなもんやろ
15:名無しのJ民
いや、太平洋じゃなくて東シナ海やけどな
19:名無しのJ民
東シナ海でも当時としては地獄やろ
台風とかもろに食らうし
21:名無しのJ民
船もボロいしな。イメージ図見ると丸太みたいな船やん
22:名無しのJ民
いや、当時の遣唐使船は結構デカくて立派だったらしいぞ。
全長30mくらいあったとか。
23:名無しのJ民
へえ~意外と大きいんやな
26:名無しのJ民
それでも木造船やからな。嵐には勝てんよ
29:名無しのJ民
中国まで辿り着いても無事帰ってこれる保証もないしな
32:名無しのJ民
阿倍仲麻呂とか日本に帰れなかったんだろ?かわいそう
34:名無しのJ民
あいつはむしろ唐で出世しまくったからセーフやろ
帰国船沈没で死んだと思われてたけど生きてたってパターンやし
37:名無しのJ民
でも結局帰れなかったやん
41:名無しのJ民
むしろ唐でエリートコース歩んだ方が勝ち組だろ
当時の日本なんて田舎もんやぞ
43:名無しのJ民
当時の日本も十分すごい文化持ってたやろ
46:名無しのJ民
いや、唐と比べたらそりゃあ…
50:名無しのJ民
遣唐使船って4隻編成が基本だったらしいけど、全滅も珍しくなかったんだよな
51:名無しのJ民
全滅ってマジ?
52:名無しのJ民
マジやで。
一番有名なのは804年の派遣。空海とか最澄が乗ってたやつ。
4隻のうち2隻は遭難して行方不明、1隻は漂流して予定外の場所に流れ着いてる
53:名無しのJ民
はぇ~空海とか最澄も死ぬとこだったんか
54:名無しのJ民
それ考えると菅原道真が「もうやめようぜ」って言ったのもわかるわ
55:名無しのJ民
道真「費用対効果悪すぎだろ」
57:名無しのJ民
道真は優秀やな
58:名無しのJ民
てか、よくそんな危険な航海に志願する奴いたよな
59:名無しのJ民
名誉や出世のためやろ
あとは新しい知識への探究心とか
60:名無しのJ民
死ぬかもしれないのに?
63:名無しのJ民
現代のブラック企業よりマシじゃね?
命は懸かってるけど夢があったやろ
65:名無しのJ民
夢より命が大事なんだよなぁ
68:名無しのJ民
今の世の中に命懸けで海外行くヤツおるか?
71:名無しのJ民
戦場カメラマンとか
75:名無しのJ民
ジャーナリストとか
77:名無しのJ民
宇宙飛行士とか?
79:名無しのJ民
宇宙飛行士は命懸けやな
81:名無しのJ民
でも遣唐使は宇宙飛行士より装備貧弱やろ
82:名無しのJ民
しかも船は手漕ぎだろ?
83:名無しのJ民
いや、帆船やで。漕ぎ手もいたけどメインは帆の力。
86:名無しのJ民
帆船でも風任せやん。まともに航路維持できんやろ
89:名無しのJ民
当時の中国も日本も羅針盤はまだ本格導入されてない時代だからな。
星とか太陽とかで方角見てた。マジで勘と経験頼み。
93:名無しのJ民
遭難して海賊に襲われたり、現地で病気になったりもしたらしいな
96:名無しのJ民
海賊とかもいたんか。日本の恥部が
100:名無しのJ民
そりゃあな。当時の東シナ海は海賊がうようよしてたらしいし。
101:名無しのJ民
日本から唐までどのくらいかかったんや?
103:名無しのJ民
順調にいけば1ヶ月くらい、悪天候だと数ヶ月とかかかったらしい
104:名無しのJ民
1ヶ月とか地獄やん
108:名無しのJ民
食料とか水とかどうしてたんだろ
109:名無しのJ民
干し肉とか米とか積み込んでたらしいけど、それでも足りなくなることもあったんやろ
110:名無しのJ民
水は雨水とか?
111:名無しのJ民
そうやろな。でも真水が尽きたら終わりやで。死と隣り合わせ。
112:名無しのJ民
現代の豪華客船でも1ヶ月船の上とか退屈なのに
115:名無しのJ民
当時の遣唐使はスマホもゲームも無いからな
118:名無しのJ民
読書とかしてたのかな。仏教書とか?
122:名無しのJ民
仏教の勉強とかしてたやろ。あとは漢詩とか。
123:名無しのJ民
まあ、それでも行く意味はあったんだろうな
律令制度とか仏教とか漢字とか、日本の礎になったもんばっかやし
126:名無しのJ民
そう思うとすげえわ
130:名無しのJ民
遣唐使が無かったら日本はもっと発展遅れてたかもな
132:名無しのJ民
鎖国してたら今頃どうなってたんだろ
136:名無しのJ民
鎖国は江戸時代やろ
遣唐使はもっと前
138:名無しのJ民
それはそう
140:名無しのJ民
遣唐使の派遣ルートって何種類かあったんだよな
141:名無しのJ民
そうそう。北路、南路、大宰府路とか言われてるやつやな。
北路が一番距離は短いけど、朝鮮半島の沿岸を辿るから外交問題とかもあった。
南路は危険だけど、比較的短期間で済むことが多かった。
142:名無しのJ民
大宰府路は途中で壱岐とか対馬に寄れるから、まだマシな方か?
144:名無しのJ民
いや、大宰府から出る船も基本は南路を通るから、危険度はあんまり変わらん
147:名無しのJ民
阿倍仲麻呂って玄宗皇帝にも可愛がられてたんだろ
すげえな
149:名無しのJ民
李白とか杜甫とかとも詩を詠み交わしてたらしいで
153:名無しのJ民
マジかよ。天才かよ。
156:名無しのJ民
ワイなら唐に着いても言語の壁で詰むわ。英語も無理やのに。
160:名無しのJ民
そりゃあ、当時のエリートが選ばれてるからな
語学力も半端なかったやろ。通訳もいたけどな。
161:名無しのJ民
遣唐使の船って、当時の最先端技術の結晶だったんだよな。
特に「棚板構造」って言って、船体の骨組みに板を何枚も重ねて強度を高める工法が使われてたらしい。
これは沈みにくくする工夫だったんやと。
164:名無しのJ民
へえ~意外と技術力あったんやな
165:名無しのJ民
それでも自然には勝てなかったんやろ。しょせん木造。
169:名無しのJ民
それでもよく行ったわ
今の時代なら絶対「ブラック企業」とか叩かれてる案件
171:名無しのJ民
「命懸けの海外出張、手当は雀の涙」
175:名無しのJ民
「遭難したら自己責任、労災おりません」
178:名無しのJ民
「生きて帰ったら出世?いや、帰って当然でしょ」
181:名無しのJ民
「死んだら殉職扱い、家族への補償は気持ち程度」
185:名無しのJ民
「ボーナスは?」
186:名無しのJ民
当時の公務員ってそんなに給料良かったんかな
190:名無しのJ民
今みたいな給料とかボーナスとかの概念とは違うやろ
官位とか土地の支給とかやないの?
193:名無しのJ民
まあ、それだけのリスクを負うから見返りも大きかったってことか
194:名無しのJ民
結局、遣唐使って何回くらい派遣されたん?
195:名無しのJ民
記録に残ってる限りだと、630年から894年までで19回やな。
中止になったり、目的地に到達できなかったりしたのも含めてやけど。
196:名無しのJ民
250年間で19回か。意外と少ないな。
198:名無しのJ民
そんだけ大変だったってことやろ。国家の一大プロジェクトだから、そう頻繁には無理。
200:名無しのJ民
最終的に菅原道真が停止を提言して、それで終わったんよな
202:名無しのJ民
唐の国力が落ちてきてたのもあるやろ
もう学ぶものも少なくなったし、危険に見合うメリットが無くなったんやろな
204:名無しのJ民
道真が停止進言した時は、まだ唐は滅んでなかったけど末期だったのは確かやな
その後の五代十国時代突入で、さらにカオスになったし賢明な判断だったと言える
205:名無しのJ民
てか、道真って他にも色々すごいことやってるよな
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