1:名無しのJ民
誰だよ
5:名無しのJ民
能登の畠山氏とかマイナーすぎやろ…
6:名無しのJ民
戦国大名スレは立つけど畠山義総は渋すぎやろ
7:名無しのJ民
ワイは好きやで
応仁の乱でボロボロになった畠山本家から、能登に分家した畠山氏
その中でも一番有能と言われてるのが義総やろ
9:名無しのJ民
有能だったのか?でも結局滅んだやん
11:名無しのJ民
滅んだのは義総の息子や孫の代の話やで
義総の時代は能登を繁栄させたんや
15:名無しのJ民
へー、具体的に何したんや?
16:名無しのJ民
義総は文化人としても知られてて、京都から公家とか文化人を招いて七尾を小京都にしたんや
あと、商人優遇して経済も回してたはず
19:名無しのJ民
文化人ってことは政治はあんまだったんか?
23:名無しのJ民
いや、それがそうでもない
能登の守護代である遊佐氏とか長氏の専横をある程度抑えつつ、上杉や朝倉みたいな周辺大国とバランス取ってたのは評価できる
27:名無しのJ民
でもその遊佐とか長が後々ヤバいことになるんやろ?
30:名無しのJ民
せや
義総の死後、息子義綱、孫義慶と幼い当主が続いたことで、遊佐続光とか長続連がやりたい放題になる
そして能登畠山氏は内紛で自滅していく
31:名無しのJ民
つまり義総は有能だけど、後継者育成がクソだったってこと?
34:名無しのJ民
うーん、当時としては珍しくない話やけどな
当主の急死とか幼い子の継承で家臣が暴走するパターンは枚挙にいとまがない
35:名無しのJ民
信長が能登に侵攻した時ってまだ畠山氏だったっけ?
37:名無しのJ民
信長が能登に侵攻したのは1577年の手取川の戦いの後、柴田勝家が加賀一向一揆を平定してからやな
その頃にはもう遊佐と長の内紛で畠山氏は実質傀儡やった
41:名無しのJ民
傀儡どころか、遊佐が長を滅ぼして、さらに信長に協力してた遊佐も最終的に滅ぼされるというカオス
42:名無しのJ民
まさに戦国乱世って感じやな
45:名無しのJ民
義総が生きてたらどうなってたんだろうな
48:名無しのJ民
多分信長には敵わなかっただろうけど、もうちょっとマシな終わり方はしたかもしれん
少なくとも内紛で自滅ってのは避けられたかも
51:名無しのJ民
能登畠山氏は鎌倉時代からの名門やろ?なんやかんやで結構強いイメージあったわ
52:名無しのJ民
本家は足利将軍家と四職の一つとして並ぶ家柄だったからな
能登畠山氏もその分家やけど、室町時代から守護として能登を統治してた
53:名無しのJ民
義総って結局何したかったのか、というスレタイやけど
能登を安定させて、文化と経済を栄えさせたかったんやろな
平和な時代なら名君として評価されてたんちゃうか
55:名無しのJ民
戦国の世で平和志向は厳しいやろ
57:名無しのJ民
でも信長も最後は平和な世を望んでたんちゃうか
61:名無しのJ民
信長は天下統一してからの平和やからな
義総は自領内でそれができればええわ、みたいな感じだったんちゃうか
63:名無しのJ民
>>26
そうやな、大国に囲まれた小国が生き残るにはそれが一番や
でも家臣がその方針についていけなかった、もしくは当主交代で制御不能になったと
65:名無しのJ民
能登って地味に良い場所やろ
日本海側の要衝やし、漁業とか商業も栄えそう
69:名無しのJ民
実際、海外との交易もしてたみたいやで
七尾港は重要な港やった
73:名無しのJ民
義総の時代は七尾城も整備されて、難攻不落の城として知られてたはず
77:名無しのJ民
難攻不落でも内側から崩れたら意味ないやん
81:名無しのJ民
ぐうの音も出ない正論
85:名無しのJ民
悲しいなぁ
88:名無しのJ民
家臣団って結局何が不満だったんや?
当主が幼いからってだけでそこまでやるか?
92:名無しのJ民
力を持った家臣は当然、自分の権力を高めたいもんや
幼い当主は都合がいいねん
昔からよくある話や
93:名無しのJ民
織田家だって信長死んだら家臣が争ったしな
94:名無しのJ民
信長の場合は後継者が成人してても争ったやろ!いい加減にしろ!
97:名無しのJ民
まあ信長もカリスマで抑え込んでた部分が大きいからな
義総もそうだったんちゃうか
99:名無しのJ民
義総のカリスマってどんな感じやったんやろ?
文化人ってことは雅な感じ?
100:名無しのJ民
たぶんガチムチな文化人やろ
弓とか馬とかも嗜んでたんちゃう?
104:名無しのJ民
雅なガチムチwww
105:名無しのJ民
能登畠山氏の家紋ってどんなんやっけ?
108:名無しのJ民
「丸に二引」やったはず
足利将軍家と同じ二引両
109:名無しのJ民
名門アピールやな
110:名無しのJ民
しかし、結局は足利将軍家と同じ末路を辿ったという皮肉
113:名無しのJ民
戦国時代の守護大名ってなんであんなに内紛多いんやろな
守護代とか地頭が勝手に力つけすぎやろ
115:名無しのJ民
室町幕府のシステム自体がそういう構造やったからな
守護は遠国にいて、守護代が現地で実権握るパターンが多かった
117:名無しのJ民
義総は能登に常駐してたから、まだマシな方だったんちゃうか
121:名無しのJ民
じゃあやっぱり後継者の問題か
123:名無しのJ民
嫡男の義綱も無能ってわけじゃなかったらしいけど、いかんせん父が早死にしたのが痛かったな
義総がもう少し長生きしてたら歴史変わったかもな
125:名無しのJ民
タラレバ歴史は楽しい
126:名無しのJ民
もし義総が信長と同時代だったら、信長に仕えて能登の領主として存続した可能性もあったか?
129:名無しのJ民
信長は家臣には厳しいからな
でも義総くらいの器量があれば、うまく立ち回れたかもな
131:名無しのJ民
遊佐とか長とか、家臣が勝手に信長に接近したりして、結局滅んだんだよな
完全に自滅やん
135:名無しのJ民
内紛からの外部勢力介入は戦国時代の死亡フラグ
138:名無しのJ民
義総が最後に残した言葉とかないんか?
141:名無しのJ民
特に有名な辞世の句とかは残ってないみたいやな
静かに死んでいったんやろか
142:名無しのJ民
なんか悲しいな
145:名無しのJ民
義総の時代って、どんな文化が栄えたんや?
148:名無しのJ民
京都から連れてきた文化人たちが、連歌とか茶の湯とか、そういう公家文化を持ち込んだんや
七尾城下は結構華やかだったらしいで
152:名無しのJ民
連歌とか茶の湯とか、なんか意識高い系やな
156:名無しのJ民
当時の文化人って、政治とか外交の舞台でも活躍してたからな
ただの趣味じゃなくて、情報収集とか人脈作りの場でもあったんや
159:名無しのJ民
なるほどなー
162:名無しのJ民
義総って何歳で死んだんや?
164:名無しのJ民
1545年に50歳で亡くなってる
戦国大名としては平均的な寿命かな
168:名無しのJ民
もう少し生きてたらなぁ
170:名無しのJ民
>>66
それが戦国時代の面白いとこでもあり、悲しいとこでもある
172:名無しのJ民
能登畠山氏の滅亡って、結局いつなんや?
176:名無しのJ民
信長の侵攻で実質的に滅亡したのが1577年やから、義総の死後30年くらいで消滅したことになるな
178:名無しのJ民
30年で名門が消えるって…
179:名無しのJ民
しかも内紛と家臣の裏切りでってのがね
182:名無しのJ民
戦国大名として、自分の家を存続させるために何が必要だったんやろな
186:名無しのJ民
強大な軍事力、優秀な後継者、忠実な家臣団、そして運
190:名無しのJ民
運が一番大事やろ
193:名無しのJ民
義総は運がなかったんやな、早死にしたのが
196:名無しのJ民
能登って今もそんなに栄えてるわけじゃないけど、歴史的には重要な場所やったんやな
197:名無しのJ民
そら日本海側の海運拠点やからな
北前船とかも寄港してたし
199:名無しのJ民
義総が生きてた頃の七尾城ってどんな感じだったんやろ
203:名無しのJ民
山の地形を巧みに利用した堅固な山城だったらしい
七尾城の戦いでも上杉謙信をかなり苦しめたはず
205:名無しのJ民
謙信が苦戦したってマジ?
207:名無しのJ民
謙信は七尾城を攻め落とすのに半年かかったと言われてる
落とせたのも城内の裏切りが原因
208:名無しのJ民
また裏切りか…
210:名無しのJ民
七尾城攻防戦は悲劇的すぎて泣ける
城主の畠山義隆(義総の曾孫)は病死したし、長続連は殺されたし
214:名無しのJ民
畠山氏の呪いかな
216:名無しのJ民
能登畠山氏の墓とかって残ってるんか?
218:名無しのJ民
七尾市の総持寺とかに墓所があるはず
一度行ってみるのもええかもな
220:名無しのJ民
ちょっと興味出てきたわ
221:名無しのJ民
戦国時代の地方大名って、有名どころしか知らんかったけど、こういうマイナーな話も面白いな
225:名無しのJ民
ワイも義総のことあんまり知らんかったけど、ちょっと調べてみるわ
227:名無しのJ民
結局、義総が何したかったのかってのは
「能登を安泰にして、文化的な繁栄を築きたかった」
これに尽きるんちゃうか
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