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応仁の乱とかいう室町幕府がアホすぎて自滅しただけの乱

1:名無しのJ民

なんであんなアホなことになったんや?
将軍が機能してないにも程があるやろ

2:名無しのJ民

歴史の授業で「応仁の乱」って習ったけど、結局何がしたかったのか分からんかったわ
あれってどういう経緯で始まったんや?

4:名無しのJ民

畠山と斯波の家督争いがこじれて、それを山名宗全と細川勝元がバックについて代理戦争始めたんやで
そこに将軍の後継者問題も絡んできて、大乱に発展した

8:名無しのJ民

ぐう分かりにくい
将軍が解決しろや

10:名無しのJ民

当時の足利義政ってやつが無能すぎてな
政治そっちのけで銀閣寺とか造ってる場合ちゃうやろ

14:名無しのJ民

銀閣寺は乱後やぞ。でも無能なのは確か。
乱の最中は、自分の後継者もコロコロ変えて、余計に混乱させたガイジ。

16:名無しのJ民

京都が焼け野原になったって聞くけど、マジなん?
日本の首都が内戦でボロボロってやばすぎやろ

20:名無しのJ民

焼け野原どころか、当時の文献には「都の光景は見るに忍びない」とか書かれてるで
貴族とかも地方に避難しまくり、文化財もかなり焼失した

22:名無しのJ民

悲しいなぁ
室町幕府ってなんであんな統治能力なかったんや?

26:名無しのJ民

将軍の権威が弱すぎたんやろ
守護大名が強くなりすぎて、言うこと聞かへんかったんや

30:名無しのJ民

それな
室町幕府はそもそも将軍と守護大名の連合政権みたいなもんやったから、将軍の権力が常に危うかったんや

33:名無しのJ民

山名宗全と細川勝元とかいう両巨頭
なんであんな仲悪かったんやろ?
幼馴染って聞いたけど

37:名無しのJ民

そこまで仲悪かったわけやないらしいで
でもお互いの大名としてのプライドと、幕府内での主導権争いが絡んで、引くに引けなくなったんや

39:名無しのJ民

最終的に両方とも戦病死やっけ?
アホらしいわ

42:名無しのJ民

宗全は赤入道とか呼ばれてたらしいな
勝元は賢かったらしいが、結局同じ穴のムジナや

44:名無しのJ民

「京」という日本の文化の中心地が戦場になったってのが悲惨やな
今の東京で内戦起きるようなもんやろ?

46:名無しのJ民

しかも10年以上やで?
マジキチやろ

48:名無しのJ民

足利義政と日野富子も糞や
後継者問題で夫婦喧嘩が国を巻き込むとか最悪

49:名無しのJ民

富子も富子で強欲イメージあるけど、乱世で金策に走るのは仕方なかった部分もあるんやろ?
幕府が機能してないんだから

52:名無しのJ民

まあな
でも戦費調達のために寺社や貴族から搾り取ったり、私的に高利貸ししたりしてたから、ヘイトは溜まるわな

56:名無しのJ民

応仁の乱のせいで戦国時代に突入したって言われてるけど、実際そうなん?

60:名無しのJ民

完全にそう
守護大名が京都で疲弊してる間に、地方の国人衆とかが力をつけて下剋上の流れが加速したんや
幕府の権威は完全に失墜したし

64:名無しのJ民

戦国時代ってなんかかっこいいイメージあったけど、結局室町幕府の無能のせいやったんやな
夢壊れたわ

65:名無しのJ民

むしろ戦国時代を招いたガイジムーブと見るべき

66:名無しのJ民

ワイ真面目レスするけど、応仁の乱って、室町幕府が守護体制を維持しようとした結果、限界がきたって側面もあるんや。守護同士の争いを将軍が裁けなくなった時点で終わりやった。

70:名無しのJ民

はえ〜
勉強になるンゴ

71:名無しのJ民

結局、京都での戦いが膠着して、地方に戦火が広がっていったんだよな
守護大名が京都に貼り付けになってる間に、自分の領国で反乱起きたりして大変やったらしい

74:名無しのJ民

畠山家の内紛とかも、乱の最中に一族が何人も当主になっては殺されたりして、ドロドロやったらしいで

77:名無しのJ民

地味に足利義視とかいう悲劇のイケメンもいたよな
兄貴に将軍にされそうになったり、裏切られたり、流浪したり

78:名無しのJ民

義視ニキはほんま可哀想
兄貴の気まぐれに振り回されただけやん

80:名無しのJ民

でも室町幕府って、文化的には結構評価されてるよな
東山文化とか

83:名無しのJ民

皮肉なことに、乱によって貴族や文化人が地方に散らばったことで、その地域の文化が発展したって側面もあるんやで

84:名無しのJ民

侘び寂びとか水墨画とか、室町時代に完成した美意識やもんな
戦乱の中でも文化は育つんやなぁ

85:名無しのJ民

しかし、将軍義政が無能すぎて、なんであんな状況で将軍でいれたんやろ?
辞任しろよ

89:名無しのJ民

当時は将軍家って家柄やから、そう簡単に辞められんのや
しかも義政自身は文化人としては有能だったから、そっちの才能を活かせなかったのが悲劇やね

92:名無しのJ民

なんか現代の政治家見てるみたいやな
無能なやつに限って権力にしがみつくっていう

96:名無しのJ民

97:名無しのJ民

天皇は何しとったん?
帝が「喧嘩やめろ」って言えば止まったんちゃうの?

101:名無しのJ民

天皇も将軍も、この頃にはもう権威はあっても実権はほぼなかったんや
止められる力なんてなかった

103:名無しのJ民

マジかよ、悲しいなぁ
日本の歴史で一番意味不明な内戦やろこれ

107:名無しのJ民

一番意味不明は言い過ぎやけど、一番無駄な戦いの一つではあるかもしれんな

109:名無しのJ民

南北朝時代とかもヤバいけど、あれはまだ明確な大義があったやん?
応仁の乱はなんか個人的な意地の張り合いって感じがする

113:名無しのJ民

大義なんてない。ただの権力争い。
そして誰も得しない。

116:名無しのJ民

日野富子って、悪女って言われるけど、乱世で生き残るために必死だっただけちゃうんか?
乱の最中に金稼ぎしてたのは、幕府の財政が破綻してたからやろ

119:名無しのJ民

あの時代に将軍の正室なんて立場になったら、そりゃ金に困らないようにするわな
むしろ金策能力は高かったと言える

122:名無しのJ民

でも富子のせいで、義政の弟の義視が将軍になれんかったんやろ?
ほんま糞やわ

124:名無しのJ民

義視が将軍になる予定やったのに、富子が息子(義尚)を産んだから、そっちを将軍にしたがったんや
そんで義視を担ぐのが山名宗全、義尚を担ぐのが細川勝元って構図になったんやで

126:名無しのJ民

うわぁ…
夫婦間のドロドロが国を巻き込むって地獄やんけ

128:名無しのJ民

しかも義尚も若くして死んで、結局義視の息子が将軍になるんやで
マジで何がしたかったんやってなる

129:名無しのJ民

最終的に義政の孫が将軍になって、富子の血筋は途絶えたんだっけ?
なんか報われねーな

130:名無しのJ民

細川勝元と山名宗全、どっちが有能だったんや?

131:名無しのJ民

勝元は智将、宗全は猛将って感じやな
勝元の方が戦略的思考は優れてたかもしれんが、宗全も武力では負けてなかった

132:名無しのJ民

というか、両方とも幕府の重鎮として頑張ってたはずなのに、なんであんな敵対したんやろ
義政がしっかりしてたら回避できたんちゃうの?

136:名無しのJ民

回避できたと断言はできんけど、義政がもっと毅然とした態度で裁定できてたら、ここまでの大乱にはならなかった可能性は高い

139:名無しのJ民

つまり足利義政が全ての元凶

140:名無しのJ民

はい、論破

143:名無しのJ民

なんJ民「応仁の乱とかいう室町幕府がアホすぎて自滅しただけの乱」

146:名無しのJ民

なんJ民「戦国時代は室町幕府の自滅で始まった」

148:名無しのJ民

地方に戦火が拡大したのも悲惨よな
京都から守護大名が引き上げていった後も、地方の国人や地侍同士の争いが止まらなくて、延々と戦乱が続いた

151:名無しのJ民

応仁の乱って、京都だけの話じゃないんだよな
地方でも、守護の支配が揺らいで、国人一揆とかが多発するきっかけになった

153:名無しのJ民

日本史上、この乱を止められなかった政治家は全員無能やろ
足利義政は当然として、周りの重臣も何してたんや

156:名無しのJ民

まさにその無能な重臣たちが、自分たちの都合で争ってたのが応仁の乱やで
みんな自分の家の存続しか考えてなかったんや

160:名無しのJ民

当時の京の庶民は地獄やったろうな
毎日が戦場や

163:名無しのJ民

想像を絶するわ
家は焼かれる、食料は奪われる、人身売買も横行したって聞くし

164:名無しのJ民

応仁の乱のせいで、天皇とか公家の文化もかなり地方に流出したんやろ?
それが後の国風文化の再評価につながったとか

166:名無しのJ民

そうそう
地方の武士や豪族が、京の文化に触れる機会が増えて、各地で文化が発展した側面もある
皮肉なもんだね

169:名無しのJ民

室町幕府って、結局最後まで強い将軍が出なかったんか?
足利尊氏以降は、みんな微妙なイメージしかないわ

171:名無しのJ民

義満は強かったやろ
勘合貿易で金儲けして、南朝と合一したり、明から「日本国王」に冊封されたり
でも義満の死後、また弱体化するんや

173:名無しのJ民

義満の後は、義持が明との関係断ったり、義教が恐怖政治敷いたりしたけど、結局長続きせえへんかったな

177:名無しのJ民

応仁の乱が起きてなかったら、日本はどんな歴史を辿ってたんやろ?
戦国時代はなかったんかな

180:名無しのJ民

戦国時代は遅かれ早かれ来たと思うで
応仁の乱はきっかけに過ぎん
幕府の支配体制そのものに限界が来てたから

181:名無しのJ民

むしろ応仁の乱で一旦リセットされたから、織田信長とかいう規格外の人物が出てくる余地ができたんやないか?
ぐうポジティブシンキング

184:名無しのJ民

はえ〜、なるほど

185:名無しのJ民

結局、応仁の乱って誰が勝ったんや?
細川?山名?

189:名無しのJ民

誰も勝ってない
両者疲弊して、大名家としての求心力も失って終わり
一番得したのは地方の国人衆や新興勢力

192:名無しのJ民

まさに「負け組しかいない戦い」やな
室町幕府も、応仁の乱以降は名前だけの存在になったし

193:名無しのJ民

足利義政って、最終的には乱が収束したの見て銀閣寺建てて、風流人として死んだんやっけ
メンタル強すぎやろ

196:名無しのJ民

乱の最中に息子に将軍職譲って隠居して、趣味に没頭したんやで
ある意味、究極の諦めやな

200:名無しのJ民

京都の文化が地方に伝播したってのは、悪いことばかりじゃなかったってことか
なんか複雑な気分やな

202:名無しのJ民

歴史ってそういうもんだよな
一つの出来事が、良い面と悪い面、両方持ってる

205:名無しのJ民

応仁の乱って、日本史の中で一番「何やってんだこいつら」感が強い事件やと思うわ

206:名無しのJ民

「なんでやねん!」ってツッコミ入れたくなるよな

208:名無しのJ民

結局、足利将軍家って、応仁の乱以降も続いてはいたけど、権力はもう完全に失ってたんやろ?

211:名無しのJ民

せやな
細川氏の傀儡になったり、足利義稙みたいに追放されたり復帰したりを繰り返したりして、完全に飾り物になった

212:名無しのJ民

細川政元とかいう、将軍を何度も追放した鬼畜も出てくるしな
応仁の乱がなければ、あそこまで将軍家が軽んじられることはなかったんやろか

216:名無しのJ民

細川政元は応仁の乱の勝元の子やで
応仁の乱で細川家が京都での権力を確立したからこそ、あんな横暴ができたんや

218:名無しのJ民

はえ〜、繋がってんやな
歴史ってほんと奥深い

222:名無しのJ民

しかし、この政元も最終的に養子に暗殺されるっていうね
まさに下剋上

224:名無しのJ民

応仁の乱って、なんで「応仁」なん?
元号から取ってるんか?

227:名無しのJ民

せやで
応仁元年(1467年)に開戦したからや
翌文明元年(1469年)まで続いたから、応仁・文明の乱って言うこともある

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