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室町時代の守護大名ってなんであんなに各地で好き勝手やってたの?

1:名無しのJ民

鎌倉幕府が滅んで南北朝の動乱になって幕府の求心力が地に落ちたからやろ

5:名無しのJ民

足利将軍家が足利将軍家と争ってたのが悪い

7:名無しのJ民

将軍が弱かったから。終わり!

8:名無しのJ民

室町幕府のシステムがそもそも地方分権的だったんだよなあ

9:名無しのJ民

南北朝で疲弊した地域だと、幕府の権威とかあんま関係ないしな

10:名無しのJ民

守護大名「京都で将軍様がなんか言ってるらしいけどウチの領地はウチが仕切るから関係ねーよ」

12:名無しのJ民

将軍「〇〇!お前は□□の国司に任命するから大人しく言うこと聞けよ!」
守護大名「は?ワイは守護職やし、今まで通り税も軍事もワイがやるわ。あんたら京都で遊んでてええで」

14:名無しのJ民

ぶっちゃけ南北朝のゴタゴタで「中央政権より地元の実力者が大事」ってのが皆わかっちゃったからな
鎌倉時代は幕府の権威がすごかったから守護もまだ律儀だったけど

16:名無しのJ民

将軍が地方の守護に言うこと聞かせるには兵出すしかなくなるからな
でも兵出すと金かかるし、他の守護大名が離反しかねんし

19:名無しのJ民

将軍が足利義満くらい強いとある程度は抑えられたけど、それ以外の将軍は…

20:名無しのJ民

義満はチートやろあれ
守護大名どころか天皇すら掌握しかけた男

24:名無しのJ民

義満以外は基本的に将軍自身が守護大名だったようなもんやからな
管領とかも守護大名だし

26:名無しのJ民

守護大名同士の連合政権みたいなもんだったからな
将軍はあくまでその盟主って立ち位置

27:名無しのJ民

しかもその盟主の座も不安定だったりするからな。細川家とか山名家とかめっちゃ力持ってたし

30:名無しのJ民

将軍「御恩と奉公!」
守護「御恩はありがたいけど奉公はちょっと…」

34:名無しのJ民

将軍が京都から出ないのがあかんのや
たまには地方に顔出して「お、殿、ご苦労!」とか言わないと

37:名無しのJ民

鎌倉時代の北条執権が各地に地頭を置いて直接支配してたのに比べて、室町幕府は守護に丸投げだったからな

41:名無しのJ民

言うて鎌倉幕府も後期はグダグダやったやろ
元寇とかもあって財政難やったし

43:名無しのJ民

守護請とか半済令とか、幕府が守護の権限を追認しちゃった部分もあるしな
自分で自分の首絞めてるようなもん

44:名無しのJ民

半済令は特にやばい
「兵糧調達のためなら、領地の半分を切り取っていいぞ」って、守護の支配を公認したようなもんやん

46:名無しのJ民

あれは苦肉の策だったんやろけど、結果的に守護の権力強化に繋がったね

48:名無しのJ民

幕府も最初は一所懸命抑えようとしてたけど、南北朝の動乱長すぎてもうどうでもよくなった説

49:名無しのJ民

中央集権の夢、破れる

52:名無しのJ民

結局、足利義満の時代だけが異質だったってこと?

56:名無しのJ民

そうやね。義満は室町幕府の完成者にして、異端児。
彼がいなくなったら、また守護大名の好き勝手が加速した

57:名無しのJ民

応仁の乱とかまさにそれの極致やろ

60:名無しのJ民

京極高氏とか赤松則村とか、幕府創設に貢献した連中が既に好き放題やってたイメージ

61:名無しのJ民

赤松くんは義満に滅ぼされかけたけどな

65:名無しのJ民

管領の細川、斯波、畠山とかも守護大名やしな
将軍の家来というより、同格の有力者って感じ

69:名無しのJ民

なんか現代の連合政権の地方自治体みたいな感じやな
国が旗振り役だけど、結局は都道府県知事が強いみたいな

71:名無しのJ民

それよりは中央と地方がほとんど別国家みたいな感じやろ
連邦国家に近い

75:名無しのJ民

将軍家の権威を頼りにするより、自領を直接支配する方が効率ええしな

76:名無しのJ民

幕府「守護大名、言うこと聞け」
守護大名「いや、それがですね…領内で揉め事がありまして…」
幕府「ならいい」

78:名無しのJ民

実際、荘園の支配権とかも守護が奪っていったんやろ?

82:名無しのJ民

そうそう、荘園公領制が崩壊して、守護が国を実質的に支配する「守護領国制」に移行していくんや
これが戦国大名誕生の布石

85:名無しのJ民

武士は土地を巡って争うのが常やからな
中央の命令より自分の土地が大事

87:名無しのJ民

足利将軍家って、なんか優雅なイメージあるけど、実際は大変だったんやな

91:名無しのJ民

優雅なのは義満と義政くらいちゃうか?
義満は権力あったから優雅にできたし、義政は…

92:名無しのJ民

義政は将軍としては無能やったかもしれんが、文化的には有能やろ!
東山文化は彼の功績やんけ!

94:名無しのJ民

文化と政治は別だから…
応仁の乱起こして、京都を焦土にしたのは許されへん

98:名無しのJ民

将軍が茶器とか枯山水に夢中になってる間に、守護大名が着々と力を蓄えていたと

102:名無しのJ民

当時の守護大名も地方で内乱抱えてることも多かったから、一概に好き勝手やってたとは言えん部分もあるで

104:名無しのJ民

地元の国人衆とか土一揆とか、下からの突き上げもすごかったからな

107:名無しのJ民

室町時代って、下克上の時代って言われるけど、まさにその萌芽が守護大名の好き勝手から始まってるんやな

108:名無しのJ民

幕府の支配が届きにくい遠隔地ほど、守護の独立性が高かった

111:名無しのJ民

東北とか九州とか、もう完全に独立王国状態だったもんな

112:名無しのJ民

伊達とか島津とか、戦国時代まで生き残った連中は元々が守護大名系が多いしな

114:名無しのJ民

将軍が地方の守護に言うこと聞かせるには、将軍自身が強力な軍事力を持ってないといけない
でも室町幕府はそれが不足してた

116:名無しのJ民

足利義教「俺が最強の将軍だ!逆らうやつは皆殺し!」
→赤松満祐に暗殺される

118:名無しのJ民

義教はやりすぎたからなあ…独裁者すぎた

122:名無しのJ民

将軍が強すぎると暗殺されるし、弱すぎると舐められるし、室町将軍は難しい立ち位置だった

123:名無しのJ民

結局、室町時代って将軍の権威と守護大名の権力のバランスが崩れまくってた時期なんやな

127:名無しのJ民

鎌倉時代は御家人制度があったからまだ中央集権的だったけど
室町は守護が御家人の上を行っちゃった感じか

129:名無しのJ民

守護が複数の国の守護職を兼ねる「守護職兼帯」が増えて、さらに力が強まったのもある

133:名無しのJ民

畿内近国だと将軍家も多少は口出せたけど、遠くに行けば行くほど「あ、そう…(鼻ほじ)」って感じ

137:名無しのJ民

室町幕府って、将軍の直轄領が少なかったのも弱かった原因じゃない?
経済基盤が弱かった

138:名無しのJ民

将軍は基本的に足利家の所領と、将軍職に付随する経済権益で食ってたからな
それを守護に切り崩されていくとジリ貧になる

142:名無しのJ民

現代の国家予算と都道府県予算みたいなもんか
国が税源持ってるから強いけど、室町将軍はあんまり税源もってなかったと

143:名無しのJ民

なんか室町時代ってマイナーだけど、知れば知るほど面白いよな

144:名無しのJ民

地味とか言われるけど、戦国時代の基盤を作った重要な時代やで

148:名無しのJ民

応仁の乱は室町時代を終わらせたけど、戦国時代を始めたとも言える

150:名無しのJ民

守護大名から戦国大名への移行期ってのが一番面白いわ
生き残りをかけて必死だったんやろな

154:名無しのJ民

守護大名が国人とか荘園領主をまとめていく過程が激動すぎる

155:名無しのJ民

守護大名って、最初は鎌倉幕府の警護役みたいなもんだったんだよな

157:名無しのJ民

それがだんだん地元に根付いて、土地の支配者になっていった

158:名無しのJ民

京都の政争に明け暮れてるうちに、地方の実力者がどんどん力をつけていったってことか

160:名無しのJ民

将軍が「おい、言うこと聞けよ!」って言っても、守護大名からしたら「お前んとこ内紛起こしてんじゃねえか」って思われてたんでしょ

161:名無しのJ民

実際に将軍の後継者争いで応仁の乱が勃発したわけだし

163:名無しのJ民

足利幕府って将軍の座が血筋で固定されてるから、有能な人物が出にくいってのもあったんかな

166:名無しのJ民

有能な将軍が出ても、周りの守護大名が強すぎて言うこと聞かなかったら意味ないしな

170:名無しのJ民

将軍の命令を地方に伝えるシステムも弱かったんちゃう?
通信手段も発達してないし

171:名無しのJ民

それはどの時代も一緒やろ
だからこそ中央からの使者とかが重要だった

175:名無しのJ民

でもその使者も守護大名に握り潰されたり、無視されたりしてたんでしょ

179:名無しのJ民

義満が死んでからが、まさに群雄割拠の時代って感じやな

180:名無しのJ民

室町幕府「頼むから言うこと聞いてくれ…」
守護大名「やだね」
このやり取りが何百年も続いたと思うと草

183:名無しのJ民

これって結局、天皇の権威が弱かったのも影響してるんかな?

187:名無しのJ民

天皇の権威はむしろ鎌倉時代より弱まってるんじゃないか?
南北朝で二分されたし

189:名無しのJ民

幕府が天皇を利用して権威付けしようとしても、守護大名には響かないと

192:名無しのJ民

将軍が天皇を「飾り」にして、守護大名が将軍を「飾り」にしてたみたいな

195:名無しのJ民

三管領四職とかいう実質的な幕府運営者たち

197:名無しのJ民

彼らもまた守護大名というね

200:名無しのJ民

まさに「下克上」の時代やね
将軍の地位すら安泰じゃない

202:名無しのJ民

守護代とか国人衆とか、さらに下の層が守護大名を突き上げる構図もあったし

203:名無しのJ民

守護大名「幕府の命令?うるせー俺が法律だ!」
国人衆「守護の命令?うるせー俺が法律だ!」

205:名無しのJ民

戦国時代はもう「国人衆が守護大名をぶっ潰して新しく大名になる」みたいなのが日常茶飯事やしな

206:名無しのJ民

応仁の乱で京都が焼け野原になって、守護大名たちは自分の領国に帰って国を固めるしかなかった

210:名無しのJ民

それが結果的に戦国大名化を加速させたんやな

213:名無しのJ民

室町時代は平和な時代ってイメージがあるけど、それはとんでもない誤解なんだよな

216:名無しのJ民

京の都では公家文化が栄えてたけど、地方では常に戦乱の危機があった

220:名無しのJ民

足利将軍家自体が、地方の足利一門を頼りにしてた部分もあるし
完全に中央集権ってわけじゃなかった

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