1:名無しのJ民
わかる
4:名無しのJ民
義時が有能すぎただけ定期
7:名無しのJ民
後鳥羽上皇がアホすぎただけやろ
8:名無しのJ民
あそこで朝廷が勝ってたら日本史が全然違うものになってたのは間違いない
10:名無しのJ民
地味ちゃうやろ、歴史の教科書でもそれなりにページ割かれとるわ
12:名無しのJ民
戦国時代とか幕末に比べたら地味やろ
16:名無しのJ民
鎌倉殿見てから承久の乱の見方変わったわ
17:名無しのJ民
後鳥羽院があんなに小物だったとはね…
20:名無しのJ民
まあ、それまでは「将軍が天皇から任命される」という形だったけど、これ以降は完全に武士が朝廷の上に立つことになったからな
21:名無しのJ民
日本の歴史で「武家が朝廷を圧倒した最初の出来事」って考えると、そらもう大事件よ
22:名無しのJ民
義時が鎌倉の武士たちの結束を固めたのがデカい
あれがなかったらバラバラになってた可能性すらある
25:名無しのJ民
大江広元の演説よな
「京都に攻め上って院を捕らえるのは後世まで恥を残すことになるが、兵を引けば将軍の代まで辱めが及ぶ」
28:名無しのJ民
いやいや、あれは「院を捕らえろ」って言ってるのと同じやろ
29:名無しのJ民
建前上は「院の側近の悪人を討つ」ってことやからな
31:名無しのJ民
なお後鳥羽上皇は沖ノ島に流される模様
33:名無しのJ民
承久の乱って名前が地味なんだよな
もっとこう、ド派手な名前だったら評価も上がってた
35:名無しのJ民
承久のスーパー大戦
36:名無しのJ民
承久のファイナルファンタジー
39:名無しのJ民
後鳥羽上皇「ワイの蹴鞠コレクションが…」
43:名無しのJ民
後鳥羽上皇の歌道はガチ
44:名無しのJ民
歌道はガチでも政治はクソってのがね
45:名無しのJ民
鎌倉幕府が北条氏の支配を確立した戦いでもあるからな
執権政治の強化
46:名無しのJ民
承久の乱の結果、六波羅探題が設置されたのデカすぎやろ
朝廷監視の機関とか、完全に武家政権の勝利宣言やん
50:名無しのJ民
京都に幕府の出先機関置くとか、当時の感覚だと衝撃やったやろな
54:名無しのJ民
朝廷からしたら「鎌倉の田舎武士どもが調子乗りやがって」って感じだったんやろな
55:名無しのJ民
承久の乱って、鎌倉初期の源氏将軍が絶えて「幕府の求心力が弱まってる今がチャンス!」って後鳥羽上皇が仕掛けたんでしょ?
56:名無しのJ民
そうやね。実朝暗殺で源氏の正統な血筋が途絶えたと見て、院政復活を狙った
59:名無しのJ民
でも義時が「源氏の恩義に報いるため」って言って武士たちをまとめ上げた
これが本当にすごい
60:名無しのJ民
当時の武士って、まだまだ個人の恩賞とか重視してたやろ?
そこを「朝敵を討つ」って大義名分でまとめ上げたのは義時の手腕よ
62:名無しのJ民
結局、後鳥羽上皇の読みが甘すぎたってことやな
武士たちの団結力をナメてた
65:名無しのJ民
そら貴族からしたら武士なんて野蛮な連中やろ
見下してたのは当然
66:名無しのJ民
でもその野蛮な連中が、貴族文化をぶっ壊して新しい時代作ったんやから歴史って面白い
70:名無しのJ民
承久の乱の「乱」って感じが地味さを助長してる
もっとこう「戦」とか「役」とかさ
72:名無しのJ民
承久の変、ならどうや?
75:名無しのJ民
承久のクーデター
78:名無しのJ民
承久の維新
79:名無しのJ民
承久の革命
81:名無しのJ民
それは言いすぎ
84:名無しのJ民
結局、歴史は勝った側の視点で語られるからな
後鳥羽上皇が勝ってたら「義時が反逆者」になってた
86:名無しのJ民
それはそう
89:名無しのJ民
義時がいなかったら、鎌倉幕府は短命で終わってた可能性もあるんか?
92:名無しのJ民
少なくとも北条氏による執権政治は確立されなかったろうし、幕府の権威も揺らいでたかもな
95:名無しのJ民
義時はあの状況でよく決断できたよな
院宣に逆らうって、当時の感覚だととんでもないことやで
98:名無しのJ民
でも逆らわないと鎌倉幕府自体が瓦解する危機だったからな
101:名無しのJ民
そこで躊躇しないのがトップの器ってやつや
102:名無しのJ民
後鳥羽上皇の「日本国総地頭」宣言も、なんか虚勢張ってる感あったわ
104:名無しのJ民
あれは完全に幕府を潰しにかかってた証拠
106:名無しのJ民
でも、武士たちの間に「院宣は絶対」みたいな意識がまだ残ってたのも事実でしょ?
107:名無しのJ民
だからこそ義時の演説が重要だったんや
「これは源頼朝公以来の武士の世を守る戦い」って
110:名無しのJ民
まあ、源頼朝が作った武家政権ってのが、承久の乱で初めて真に確立されたってことよな
114:名無しのJ民
鎌倉幕府の体制が固まったのは、頼朝の死後、承久の乱を経てからって感じ
117:名無しのJ民
じゃあ頼朝って結局何したん?
118:名無しのJ民
頼朝はシステム作った張本人やろ
121:名無しのJ民
頼朝は「武士が政権を握る」という前例を作った。義時はそれを「盤石なもの」にした。
122:名無しのJ民
野球で例えると、頼朝が球団作ったけど、義時が初めて日本一にしたみたいなもんか
125:名無しのJ民
例え下手くそかよ
127:名無しのJ民
義時が監督で、後鳥羽が暴走したエースって感じか
131:名無しのJ民
後鳥羽は暴走した上に炎上して降板やろ
132:名無しのJ民
むしろ球団オーナーの後鳥羽が、自分のチーム潰そうとして失敗したみたいなもんか
134:名無しのJ民
なんか例えが迷走してるな
135:名無しのJ民
承久の乱って、実は京都御所を舞台にした攻防戦とかあんまりないんだよな
主に東山道、北陸道、東海道で鎌倉軍が各所で勝利した戦いの総称
139:名無しのJ民
まあ、鎌倉軍が圧倒的だったからね
142:名無しのJ民
京都方、兵力はあったけど統率取れてなくて各個撃破された印象
143:名無しのJ民
後鳥羽上皇が自ら兵を率いたわけでもないしな
145:名無しのJ民
まあ上皇が最前線で指揮執るなんて無理やろ
148:名無しのJ民
それに比べて鎌倉軍は、義時がしっかり指揮系統を確立してたからな
152:名無しのJ民
義時の兄である時房が京都に攻め込む隊を指揮したり、兄弟で協力してたのが大きい
156:名無しのJ民
北条兄弟、有能すぎィ!
159:名無しのJ民
泰時もこの時初陣で活躍してるんだよな
162:名無しのJ民
後の名執権、泰時もここから頭角を現した
163:名無しのJ民
承久の乱って結局、北条氏の家系図を語る上でも重要なんだよな
165:名無しのJ民
後鳥羽上皇は沖ノ島で何してたの?
169:名無しのJ民
歌詠んで蹴鞠して隠岐造とかいう独自の文化を創造したらしいで
172:名無しのJ民
流されても貴族的な生活送ってたんやな
176:名無しのJ民
ある意味、たくましいわ
177:名無しのJ民
承久の乱の後、皇室領の一部が没収されて、それが武士の所領になったんだっけ?
180:名無しのJ民
そうそう。朝廷の経済基盤を弱体化させて、武士の支配を強化した
184:名無しのJ民
それが後の荘園公領制の崩壊にも繋がっていくんやな
187:名無しのJ民
歴史って全部繋がってるんだなあ(小並感)
189:名無しのJ民
日本史の流れで言うと、源平合戦で武士の時代が始まり、承久の乱で武士の時代が確立され、元寇で武士の時代に試練が訪れ、南北朝で武士の時代が混乱し、戦国時代で武士の時代が爛熟する
190:名無しのJ民
うまいこと言ったつもりか?
191:名無しのJ民
いや、でもだいたいそんな感じやろ
192:名無しのJ民
承久の乱って、朝廷と武士の力関係が明確になったって意味では本当に重要
193:名無しのJ民
それまでは「まあ、天皇は神様だから…」みたいな空気あったのに、承久の乱で「ああ、天皇も人間なんだな」って悟ったやつ多そう
195:名無しのJ民
まあ、神の子孫って建前は残ったけど、実権は完全に武家になったからな
198:名無しのJ民
だからこそ、明治維新で天皇親政を掲げた時に「朝廷ってそんな権力あったっけ?」ってなったんやろな
200:名無しのJ民
明治維新は承久の乱から700年後のリベンジマッチとも言える
202:名無しのJ民
それは言いすぎやろ
205:名無しのJ民
でも、武家政権の時代が終わるきっかけになったのは事実やし、そういう見方もできる
206:名無しのJ民
歴史のロマンやね
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