1:名無しのJ民
誰やねんそいつ
5:名無しのJ民
いきなりマイナーどころぶっこんでくんな
6:名無しのJ民
ググったわ。古代の人物か。仏教嫌いだったんやな
9:名無しのJ民
物部氏と蘇我氏のガチバトル。そら仏教アンチにもなるわ
10:名無しのJ民
仏教が日本に伝わった時の抵抗勢力やろ?
13:名無しのJ民
そうそう。物部氏が元々土着の神道勢力で、蘇我氏が新興の仏教ウェルカム派。
16:名無しのJ民
どっちかいうたら、物部守屋の方が日本人っぽい思考してたんちゃうん?
18:名無しのJ民
異文化輸入に抵抗する保守派って感じか
21:名無しのJ民
でも結局負けたんやろ?ダサすぎやろ
24:名無しのJ民
結局日本の歴史は仏教受け入れて大成功したんやから、歴史の敗北者ってことやろ
25:名無しのJ民
守屋が勝ってたら今の日本は仏教徒おらんかったんかな?
26:名無しのJ民
いや、そこまで大きくは変わらんでしょ。仏教はどこかで必ず入ってくる。
30:名無しのJ民
でも仏教伝来で疫病が流行ったとか言って仏像ぶっ壊したり寺に火つけたりしたんだろ?ガイジかよ
31:名無しのJ民
当時の感覚からしたら、そら新しい神様連れてきたから怒ってるんじゃね?ってなるわな
33:名無しのJ民
そら疫病流行ったら仏教のせいにするわ。科学ない時代やし
34:名無しのJ民
でも仏教を導入しようとした蘇我馬子は賢かったよな。
38:名無しのJ民
蘇我氏ってなんか悪者ってイメージあるけど、国際感覚はあったんやな
40:名無しのJ民
権力闘争のために仏教利用しただけやろ
43:名無しのJ民
守屋はマジで純粋に仏教を胡散臭いと思ってただけかもしれん
45:名無しのJ民
まあ、今で言ったら「海外の変な新興宗教が国内に入ってきて、それで何かトラブルあったら責任とれんのか!」って叫んでるおっさんやろ
48:名無しのJ民
草
49:名無しのJ民
仏像破壊とか現代やったら炎上案件不可避やな
53:名無しのJ民
炎上どころか逮捕やろ
56:名無しのJ民
崇峻天皇が蘇我馬子に殺される遠因作ったのも守屋とか言われてるし、なかなかやばいやつやな
60:名無しのJ民
守屋の屋敷に大量の武器があったって話も残ってるし、武闘派やったんやろな
61:名無しのJ民
でも、それが物部氏の本業だからね。軍事氏族だったんだし
64:名無しのJ民
弓の名手だったらしいけど、聖徳太子に負けるとかダサい
68:名無しのJ民
聖徳太子って当時まだ子供やろ?いくらなんでも盛ってないか?
70:名無しのJ民
諸説あるけど、聖徳太子がまだ若かったのは事実。物部守屋が討たれた時は20歳前後だったはず。
71:名無しのJ民
つまり守屋は若造に負けたと
73:名無しのJ民
しかも一族郎党滅ぼされてるからな。完全に敗北者
74:名無しのJ民
守屋が負けたからこそ、日本は天皇中心の仏教国家として発展できたんや
76:名無しのJ民
結果論やろ
79:名無しのJ民
でも蘇我氏も最終的に滅びるから、諸行無常ってことやな
80:名無しのJ民
歴史って結局、勝ったもん勝ちなんよな
82:名無しのJ民
守屋は日本の神々を信じてただけや。悪く言うな
84:名無しのJ民
仏教は異国の思想で、日本の神様とは違うって考えたんだろうね。気持ちはわかる
85:名無しのJ民
でも日本の神道って仏教と合体して神仏習合とかいう文化になったし、結局負けたんやろ
89:名無しのJ民
いや、あれは仏教側が日本の神々を取り込んだって見方もできるで
93:名無しのJ民
神様が仏様になって転生したってことか?
97:名無しのJ民
そうそう。八幡大菩薩とかまさにそれ
100:名無しのJ民
神様と仏様が仲良くやってる今となっては、物部守屋の反発もなんか微笑ましいな
104:名無しのJ民
当時はガチで血で血を洗う争いだったんだが…
108:名無しのJ民
飛鳥時代とかいう血生臭い時代
112:名無しのJ民
守屋がもし勝ってたら、日本はどんな国になってたんやろ?
115:名無しのJ民
仏教が伝来しなかったら、儒教とか道教がもっと広まってたかもな
119:名無しのJ民
いや、鎖国状態になってた可能性すらある。排他的な国に
121:名無しのJ民
それはそれで面白いな
125:名無しのJ民
でも世界史的に見ても、新しい思想を受け入れる方が国は発展するよな
128:名無しのJ民
守屋は時代の流れに逆らったってことか
130:名無しのJ民
守屋が負けたことで、日本には寺社仏閣という美しい文化が生まれたんや
134:名無しのJ民
確かに古寺とか見ると、守屋さんおらんかったらこれ建ってなかったんかなって思うわ
137:名無しのJ民
蘇我馬子も守屋も、どっちも日本の歴史にとって必要な存在だったってことやな
141:名無しのJ民
最終的に守屋討伐に成功した聖徳太子がレジェンドすぎやろ
145:名無しのJ民
聖徳太子って実はゴリゴリの武闘派だったってのがね
149:名無しのJ民
いや、太子は智将やろ。作戦立てた側でしょ
153:名無しのJ民
太子の弟の来目皇子が戦死しそうになったのを太子が助けたって話もあるし、戦場には出てたっぽいよ
156:名無しのJ民
蘇我氏と物部氏、どっちも日本の未来を考えてはいたんやろな
160:名無しのJ民
考え方が違っただけってことか
163:名無しのJ民
ただの権力争いだった可能性も
166:名無しのJ民
それが一番ありそう
169:名無しのJ民
まあ歴史の授業で「物部守屋、仏教アンチ」って教えたら生徒食いつきそうやな
173:名無しのJ民
現代語訳すると「物部守屋、仏教とかいう海外コンテンツにブチギレwww」って感じか
176:名無しのJ民
草
178:名無しのJ民
仏像を難波の堀江に投げ込んだ話とか、ガチで過激派やん
181:名無しのJ民
当時の仏像って今の基準から見ても貴重品やろ?もったいねえ
185:名無しのJ民
守屋が投げ込んだ仏像は今の大阪の堀江界隈に埋まってるとか言われてるな。ロマンあるわ
188:名無しのJ民
マジかよ、お宝探しに行くわ
191:名無しのJ民
掘り当てたら億万長者やん
193:名無しのJ民
でもそれ埋蔵文化財保護法とかでアウトやろ
195:名無しのJ民
夢壊すなや
199:名無しのJ民
結果的に守屋は敗れ去ったけど、その存在があったからこそ仏教が日本に根付く過程がドラマチックになったんやで
202:名無しのJ民
ポジティブシンキングかよ
204:名無しのJ民
なんだかんだで、今も大阪の石切神社とかに物部氏の末裔って名乗る人がいるらしいで
208:名無しのJ民
へえー、家系って繋がるもんなんやな
209:名無しのJ民
物部氏はもともと神道の祭祀を司ってた氏族やし、頑固なのも頷ける
213:名無しのJ民
当時の天皇も仏教受け入れるか迷ってたんだよな。欽明天皇とか
216:名無しのJ民
どっちにつくか悩みどころやろ。下手に動いたらヤバいし
217:名無しのJ民
欽明天皇「この仏像、推古天皇に試させとこ」
219:名無しのJ民
欽明天皇は仏像だけ受け取って、試用期間ってことで蘇我氏に預けたんだよな。賢い
221:名無しのJ民
そして試用期間中に疫病流行って守屋が「ほらみろ!」ってなったと
224:名無しのJ民
で、その仏像ぶっ壊して、蘇我氏の寺も燃やしたんやろ
226:名無しのJ民
蘇我氏も堪忍袋の緒が切れたんやろな
227:名無しのJ民
守屋の行動は短絡的やったんかな
229:名無しのJ民
いや、当時の価値観では正義やったと思うで。国を守るための行動
233:名無しのJ民
でも武力で反発したらアカンやろ
234:名無しのJ民
そりゃ当時の権力争いやからね。話し合いで解決するわけない
238:名無しのJ民
守屋の最期も壮絶だったらしいな
242:名無しのJ民
木の上の高いところに陣取って弓を射ってたらしいけど、聖徳太子の作戦で狙い撃ちされたとか
244:名無しのJ民
結局、歴史の勝者って蘇我氏なんかな?
読み込み中...