1:名無しのJ民
これほんま凄いよな
2:名無しのJ民
ガチで有能すぎる
6:名無しのJ民
どっちにもいい顔して、どっちからも搾取されつつ、うまいことやってたんだよな
8:名無しのJ民
具体的にどう凄かったんや?ワイ無知
9:名無しのJ民
清には朝貢して「ワイらは清の冊封国アル!」って言って貿易しまくり
11:名無しのJ民
で、その儲けで薩摩に貢いで「ワイらは日本の属国デース!」ってやってた
13:名無しのJ民
二つの顔を使い分けて、どっちにも怒られないようにしてたのが天才的
15:名無しのJ民
それバレないんか?
17:名無しのJ民
お互い遠いし、微妙な距離感で見て見ぬふりしてた部分もあるらしい
20:名無しのJ民
清は朝貢さえしてくれれば別にいいやってスタンス。薩摩は幕府にバレないように琉球からの利益を隠したかった
24:名無しのJ民
薩摩の支配は結構ガチだったんだろ?検地とか砂糖の強制生産とか
26:名無しのJ民
そうそう。そこはマジでエグかったらしいで
29:名無しのJ民
清との貿易で稼いだ金が、薩摩への納税に消えてたとかいう地獄
33:名無しのJ民
まさに外交版マネーロンダリング
34:名無しのJ民
ワイらが合コンでやる八方美人とはレベルが違うわ
36:名無しのJ民
現代の小国外交にも通じるものがあるよな
39:名無しのJ民
〇〇(現代のどこかの小国)とかもこんな感じなんかな
40:名無しのJ民
小国が大国に挟まれたらこれくらいしないと生き残れないってことやな
41:名無しのJ民
常に綱渡り外交で、王様とか大臣とか胃に穴あきまくってそう
43:名無しのJ民
尚巴志とかいう外交の天才がいたんか?
47:名無しのJ民
尚巴志は三山統一した人で、外交を本格的に始めたのはその後の王たちやね
50:名無しのJ民
地理的な要因もデカかったやろな。海洋国家としての強み
51:名無しのJ民
米作れないから貿易で食っていくしかなかったんやろ。悲しいけど賢い
52:名無しのJ民
首里城とか見ると、中国と日本の文化がハイブリッドで面白いよな
55:名無しのJ民
琉球舞踊も独特だし、沖縄料理も中華っぽいのあるし
57:名無しのJ民
ゴーヤチャンプルーとか最高やな。あれも中華の影響あるんかな
61:名無しのJ民
泡盛飲みながら国が傾いたとか?
64:名無しのJ民
泡盛は関係ないやろwww
68:名無しのJ民
実際、薩摩の支配ってどれくらい過酷だったん?
72:名無しのJ民
琉摩関係は結構複雑で、薩摩藩は琉球を幕府には外国として申告しつつ、実際は内政干渉しまくってたで
75:名無しのJ民
清の冊封使が来るときは、薩摩の役人が隠れてたって話、好き
76:名無しのJ民
隠れるっていうか、清の目に触れないように配慮してたって感じやね
78:名無しのJ民
清からしたら、朝貢してくれれば細かいことは気にしない、くらいの感じだったのかね
81:名無しのJ民
そうやね。清は「天下の中心は我が国」っていう中華思想だから、形式さえ整えればOKだった
83:名無しのJ民
お互いに都合のいい解釈をしてたってことか。持ちつ持たれつ
84:名無しのJ民
現代の国際関係もそんなグレーゾーンだらけだよな
85:名無しのJ民
台湾問題もちょっと似てる部分あるんかな?(小声)
87:名無しのJ民
それはちょっとデリケートな話やろw
89:名無しのJ民
琉球は武力で抵抗する力がなかったから、外交で生き残るしか道がなかったんやろ
91:名無しのJ民
どっちつかずの態度って普通は危ないけど、琉球の場合はそれが最適解だったってのが凄い
93:名無しのJ民
日本が強大化するにつれて、薩摩寄りにシフトしていったんやっけ?
94:名無しのJ民
明治維新で廃藩置県されて沖縄県になったからな。それまでや
96:名無しのJ民
日清戦争で完全に日本の領土になって、その後の苦難を考えると複雑な気持ちになるわ
99:名無しのJ民
まあ、それは琉球王国滅亡後の話やし、当時の外交戦略は称賛されるべき
100:名無しのJ民
薩摩藩が琉球から搾取しまくってたのに、なんで倒幕できたんや?
102:名無しのJ民
琉球の金だけじゃないけど、海外貿易で得た莫大な利益は倒幕の資金源になったのは間違いない
105:名無しのJ民
幕府が禁じた海外貿易を、清経由でコッソリやってたわけやからな
109:名無しのJ民
長崎の出島が唯一の貿易窓口って建前だったのに、琉球が裏口だったわけか
111:名無しのJ民
「琉球は日本じゃない!」って体で清と貿易してたからセーフ理論
115:名無しのJ民
ずる賢いというか、状況を最大限に利用した結果やな
119:名無しのJ民
もし琉球が清か薩摩、どっちかに肩入れしてたらどうなってたんだろ
120:名無しのJ民
間違いなく潰されてたやろな。歴史は繰り返す
121:名無しのJ民
地理的に挟まれてるからこその知恵や
123:名無しのJ民
日本と中国の間の緩衝地帯として優秀だったんやな
127:名無しのJ民
小国が生きていくための究極の知恵って感じするわ
129:名無しのJ民
結局、この外交って誰が主導してたんだ?王様?それとも優秀な役人?
132:名無しのJ民
王府の中枢を担う三司官とかが実務を取り仕切ってたで
135:名無しのJ民
尚真王の時代が一番栄えたって聞くけど、この外交もその頃から?
139:名無しのJ民
尚真王は三山を統一した人やね。外交は尚寧王とか、その後の王たちも頑張ってた
142:名無しのJ民
首里城の龍のデザインとか、中国の影響モロだもんな。でも瓦とかは日本っぽいのもあるし
143:名無しのJ民
それがチャンプルー文化って言われる所以よな
145:名無しのJ民
沖縄行きたくなってきたわ
148:名無しのJ民
ソーキそば食べたい
149:名無しのJ民
美ら海水族館行きたい
153:名無しのJ民
でも今の沖縄は米軍基地問題とかあって複雑な状況だよな
155:名無しのJ民
あ、スレチやぞ。歴史の話に戻れや
156:名無しのJ民
すまんな。つい脱線したわ
158:名無しのJ民
この外交っていつ頃まで続いたんや?
161:名無しのJ民
明治政府が廃藩置県やるまで。1879年までやな
163:名無しのJ民
結構長いこと続いたんやな。270年くらい?
166:名無しのJ民
そうやね。江戸時代とほぼ同じ期間、この外交を続けてたことになる
168:名無しのJ民
その間、大きな戦争とか紛争に巻き込まれなかったってのも凄いよな
170:名無しのJ民
それがこの外交戦略の最大の成果や。平和主義外交
173:名無しのJ民
武力で解決しようとしないのは見習うべきやな
175:名無しのJ民
まあ、武力持つ金もなかっただけやろ、って言われるとそうかもしれんが
176:名無しのJ民
それを強みに変えたのが凄いって話や
180:名無しのJ民
賢い選択やったんやな
181:名無しのJ民
清からの進貢船ってめちゃくちゃ豪華だったらしいな
185:名無しのJ民
そうそう。冊封使が来る時は盛大に歓迎して、清の威光を称えてたし
186:名無しのJ民
薩摩藩主の代替わりには慶賀使とか謝恩使を派遣して、日本の文化も取り入れてた
190:名無しのJ民
どっちにもちゃんと顔立ててたってことやな
194:名無しのJ民
完璧な二枚舌外交やな
196:名無しのJ民
裏切り者って言われることもあるけど、国を守るためには必要な戦略だったんやろ
198:名無しのJ民
国民からしたら有能な王様って感じやろな
201:名無しのJ民
この時代の琉球の資料って、どっち寄りの書き方してるんだろ?
204:名無しのJ民
琉球王国の公式記録は、清への朝貢を重視した「建前」の記録が多いはず
208:名無しのJ民
でも薩摩の側は「琉球はうちの支配下」ってしっかり記録残してるから、両方見ないと分からん
211:名無しのJ民
歴史って立場によって見え方全然違うよな。今も昔も
212:名無しのJ民
今の国際関係もそんな感じやろなぁ
215:名無しのJ民
小国の生き残り戦略としては、世界史の教科書に載せるべきレベルやな
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