1:名無しのJ民
ワイも詳しく知らんのやが、なんかめっちゃやばい撤退戦だったらしいな
2:名無しのJ民
知らんのか?
6:名無しのJ民
ググれカス
9:名無しのJ民
でもなんか漠然と「すごい」って言われてもピンとこないんや
具体的に何がどうすごかったんや?
10:名無しのJ民
簡単に言うと、追撃してくる敵を、自分らの一部を犠牲にしてでも足止めして、本体を逃がす戦術や
しかもその足止め部隊は、敵を足止めしたら死ぬまで戦い続ける
12:名無しのJ民
はえ~すっごい…(小並感)
15:名無しのJ民
それって要するに特攻やん
16:名無しのJ民
特攻とはちょっと違うぞ
ちゃんと戦略的な意味があった
17:名無しのJ民
捨て奸(すてがまり)ってやつやろ?
退く本体を守るために、数人の部隊が道を塞いで敵を食い止める。で、全滅したらまた次の部隊が…ってのを繰り返す。
18:名無しのJ民
いや、捨て奸は特攻とは違うんや
特攻は基本的に「死ぬこと前提で突っ込む」やろ
捨て奸は「戦って敵を足止めし、本体が逃げ切る時間を稼ぐ」が目的や
結果的に全滅するけど、そこにちゃんと戦略的な意図がある
19:名無しのJ民
まあ戦術的に「死ぬまで戦え」って意味では近い気もするけどな
23:名無しのJ民
でも捨て奸は兵士が逃げるチャンスもあったらしいで
あくまで「足止め」が目的やから、敵を食い止めきったら撤退して本体に合流することも可能ではあったらしい
もちろんそんなことできる状況は稀やったやろうけど
25:名無しのJ民
いや、基本的には使い捨てよ
「ここで死ね」って言われてるようなもん
29:名無しのJ民
島津義弘が殿やったんやろ?
あのボロ負け関ヶ原でよくあんなことできたな
30:名無しのJ民
だって味方からも見捨てられてたからな
西軍の連中が裏切りまくってて、島津は孤立無援やった
33:名無しのJ民
孤立無援の状態で、正面突破して敵中を駆け抜けて撤退ってのがヤバい
しかも徳川家康の本陣近くを突破したんやろ?
36:名無しのJ民
そうそう。家康はビビって本陣から出られなかったらしいし
40:名無しのJ民
家康「なんやあいつら…怖E」
44:名無しのJ民
島津って結局何人くらいでやってたっけ?
48:名無しのJ民
諸説あるけど、数百人から千人くらいやろ
対して追撃してた徳川・福島・井伊の連合軍は何万人もおる
50:名無しのJ民
数千対数万とかアホか
それで生きて帰ってきたんやからすげえわ
52:名無しのJ民
戦国最強は島津とか言われるけど、まあ納得やな
53:名無しのJ民
武田信玄の三方ヶ原の撤退とどっちが凄かったんやろ?
55:名無しのJ民
三方ヶ原は家康がビビりまくって脱糞しながら逃げただけやろ
島津は敵に突っ込んで突破やからレベルが違う
56:名無しのJ民
でも三方ヶ原も殿は徳川四天王とかが命がけでやったんやで?
60:名無しのJ民
比べるもんじゃないけど、島津のは絶望感が半端ない
あれはもう「死ぬ気で逃げる」じゃなくて「死んででも道を切り開く」やからな
62:名無しのJ民
島津義弘ってどんなキャラだったん?
63:名無しのJ民
薩摩の鬼とか言われてたな
めっちゃ戦上手で、普段は温厚だけど戦になると鬼神のごとく戦うタイプ
64:名無しのJ民
朝鮮出兵でも大暴れしてたやん
「鬼石曼子」とか呼ばれてたんだっけ?
66:名無しのJ民
そうやね
明や朝鮮の兵士からも恐れられてた
67:名無しのJ民
その義弘が、関ヶ原で味方に裏切られて、たった数百人で敵中突破して逃げ帰る
これもう映画化決定やろ
69:名無しのJ民
Netflixあたりが作ってくれそう
73:名無しのJ民
黒沢明が撮ってたらどんな絵になったんやろな
77:名無しのJ民
「七人の侍」のラストみたいな絶望感と、そこから這い上がる執念みたいな
81:名無しのJ民
で、生き残った兵士は何人くらいやったん?
83:名無しのJ民
関ヶ原の戦場から薩摩まで逃げ帰ったのは、義弘含めて数十人程度だったと言われてる
86:名無しのJ民
草生える
ほとんど死んでるやん
89:名無しのJ民
それでも大将が生きて帰ったことが重要なんや
トップが生きてればまた再起できる
93:名無しのJ民
もし義弘が死んでたら、薩摩藩は改易されてたかもな
95:名無しのJ民
薩摩藩の存続がかかった撤退戦だったわけやな
99:名無しのJ民
当時の武士ってほんま頭おかしいわ
102:名無しのJ民
いや、むしろあれは「正気」の判断やろ
死ぬとわかってても、本隊を守るために命をかける
それが武士の本懐やったんや
104:名無しのJ民
まあ、現代のビジネスマンには理解できんな
「チームのために死んでこい」とか言われたら即退職やろ
105:名無しのJ民
「捨て奸とか非効率だろ」とか言い出しそう
109:名無しのJ民
「生産性のない行為」とか言われそう
112:名無しのJ民
「この特攻、PDCA回してるんですか?」
114:名無しのJ民
草
115:名無しのJ民
でも島津って、その後も徳川と戦わずに済んだんやろ?
117:名無しのJ民
そうやね。家康も島津の武勇を恐れて、深追いはしなかった
むしろ「義弘を生かして帰した方が、薩摩を抑える上で都合が良い」と判断したらしい
120:名無しのJ民
はえ~、家康もなかなか腹黒いな
124:名無しのJ民
それが天下人や
127:名無しのJ民
結局、島津の退き口は、義弘の命と薩摩藩の存続をかけた、奇跡的な撤退戦やったってことやな
129:名無しのJ民
しかもその戦術が、その後も島津家で受け継がれていくんだからすごい
133:名無しのJ民
「島津に暗君なし」って言われるくらいやからな
135:名無しのJ民
でも、この捨て奸って戦術、島津だけじゃなくて他の家でも使われたんやろ?
138:名無しのJ民
うん。似たような戦術はあったけど、島津ほど徹底して、かつ大規模にやったところは少ない
島津のそれは、もはや「流儀」になってたからね
139:名無しのJ民
撤退戦のプロフェッショナルやな
141:名無しのJ民
まさに「退き口の島津」って異名も納得や
142:名無しのJ民
なんかちょっと感動してきたわ
144:名無しのJ民
歴史のロマンってやつやね
145:名無しのJ民
ちなみに捨て奸ってどうやって部隊を選んでたんやろ?
くじ引きとか?
147:名無しのJ民
そこまで明確な記録はないけど、恐らくは志願兵とか、精鋭部隊が選ばれたんやないかな
もちろん、命令として下されることもあったやろうけど
149:名無しのJ民
「俺が行きます!」って手を挙げる兵士おったんか…
150:名無しのJ民
おったやろな
武士の名誉やから
152:名無しのJ民
現代の感覚だと理解しがたいけど、当時の価値観では最高の誉れやったんやろな
155:名無しのJ民
死んで殿を守るってのが、子孫にとって最高の箔になったしな
156:名無しのJ民
いや、ワイは嫌やわ
160:名無しのJ民
そらお前はなんJ民やからな
162:名無しのJ民
でも、もし自分がその場にいたらどうするんやろ?って考えるよな
163:名無しのJ民
ワイなら速攻で脱糞して逃げるわ
167:名無しのJ民
正直、それが普通やと思うで
だからこそ、彼らの行動が「すごい」って言われるんや
168:名無しのJ民
戦国時代、ほんまヤバい
170:名無しのJ民
そういや、島津の退き口で死んだ武将の中に、鳥居元忠の息子とかおったらしいな
敵味方関係なく、多くの犠牲が出た撤退戦やった
174:名無しのJ民
ひえ~、なんか胸糞悪くなってきたわ
175:名無しのJ民
それが戦場の現実や
178:名無しのJ民
でも、そういう悲劇の上に今の日本があるって考えると、感慨深いな
179:名無しのJ民
歴史って面白いわ
183:名無しのJ民
島津の退き口、奥が深いな
185:名無しのJ民
結局、何がすごかったって、絶望的な状況で、徹底した合理性と覚悟を持って、目標を達成したことやな
188:名無しのJ民
数で劣る側が勝つには、そういう非常識な戦術が必要だったってことか
189:名無しのJ民
まさに戦術の極致やな
193:名無しのJ民
また一つ賢くなったわ
196:名無しのJ民
サンキュー歴史ニキ
199:名無しのJ民
おつかれー
200:名無しのJ民
乙
203:名無しのJ民
島津に栄光あれー
207:名無しのJ民
はい解散
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