1:名無しのJ民
マジやぞ
4:名無しのJ民
いやいや、将軍が国王とかw
6:名無しのJ民
ガチで国王号受け取ってるからな
9:名無しのJ民
それ中国の皇帝が勝手に認定しただけちゃうんか?
12:名無しのJ民
当時は冊封体制ってのがあってな。中国から「お前んとこの王はこいつな」って認められると貿易とかやりやすかったんや。
15:名無しのJ民
実利的な意味合いが強かったってこと?
19:名無しのJ民
そうやね。ただ、それに加えて将軍の権威を天皇より上にしようとしてた節はある。
21:名無しのJ民
金閣寺とかいうゴージャスな趣味もそれの一環よな
23:名無しのJ民
金閣寺は確かにすごいが、国王とまではなあ
26:名無しのJ民
後小松天皇を金閣寺に呼んで、自分の方が上位にいるみたいな演出してたって話は有名だろ
30:名無しのJ民
天皇「お、お邪魔します…」
義満「おう、座れよ」
みたいな感じか
34:名無しのJ民
それは草
35:名無しのJ民
実際、官位も異例の速さで昇進して、最終的には准三后にまでなったからな。公家を通り越してトップの地位に立とうとしてたのは間違いない。
39:名無しのJ民
准三后って皇后とか皇太后と同じ待遇ってことだろ?将軍がそこまで行くのやばすぎだろ
41:名無しのJ民
天皇の上位概念になろうとしてたってこと?
43:名無しのJ民
うーん、完全な上位概念というよりは、天皇の権威はそのまま利用しつつ、実質的な支配者として頂点に立とうとしたって感じちゃうか。
44:名無しのJ民
戦国大名が天下統一目指すような感覚?
47:名無しのJ民
でも信長とか秀吉は天皇を傀儡にしたけど、義満はもっとスマートに実権握ろうとしたんやろな
49:名無しのJ民
なんか足利幕府って地味に有能な将軍が多いよな。義満とか義政とか。
50:名無しのJ民
義政は有能…?
53:名無しのJ民
金閣と銀閣で格の違い見せつけたかったんやろなあ
55:名無しのJ民
金閣寺ニキと銀閣寺ニキとかいう対立煽り
58:名無しのJ民
室町幕府は将軍の力が強かったんだっけ?
60:名無しのJ民
初期はな。義満がそのピークを作った。
61:名無しのJ民
中国王朝との関係見ると、義満は完全に中国側のルールに乗っかって日本国王を名乗ってたのは事実や
65:名無しのJ民
当時の日本の皇帝は天皇だけど、中国から見たら天皇も日本国内の一君主でしかないからな
66:名無しのJ民
そうそう。だから中国皇帝から見れば「日本の王様」って称号を与えるのは普通のこと。
69:名無しのJ民
でもそれを日本国内でどう解釈するか、利用するかがミソだったわけやろ?
72:名無しのJ民
まさにそう。義満はそれを将軍の権威を高めるために利用した。
75:名無しのJ民
天皇の血統は温存しつつ、将軍家が実質的な支配者としてトップに君臨する。これが義満の目指した「日本国王」像だったんちゃうか。
78:名無しのJ民
現代でいうと、天皇制を残しつつ総理大臣がガチで全権握って海外では国の代表面する、みたいな感じ?
80:名無しのJ民
いや、例えが絶妙に違う
81:名無しのJ民
でも分かりやすいっちゃ分かりやすい
83:名無しのJ民
天皇「ワイは神の子孫なんやで!」
義満「へー、そっすか。で、貿易どうなりました?」
みたいな温度差があったのかな
86:名無しのJ民
当時は儒教とか仏教も絡んでくるからもっと複雑やで
89:名無しのJ民
禅宗とかめっちゃ保護してたしな。外交にも使ってたし。
92:名無しのJ民
つまり義満は外交、宗教、政治を全部使って将軍の権力を最強にしたかったと。
94:名無しのJ民
その結果が金閣寺
97:名無しのJ民
金閣寺は世界遺産やからええやろ
99:名無しのJ民
金閣寺が日本国王アピールの象徴だったって聞くと、なんかすごい納得感あるわ
100:名無しのJ民
室町時代って地味だけど、政治的にも文化的にも面白い時期だよな
103:名無しのJ民
南北朝合一も義満の功績やろ?そりゃあ権力も絶頂よ
107:名無しのJ民
ガチで強かったよな義満
111:名無しのJ民
でも結局、足利幕府は長く持たなかったのはなんでなん?
114:名無しのJ民
義満が死んだら優秀な息子がおらんかったからちゃう?
115:名無しのJ民
いや、義満が死んだ後、次の将軍が権力弱体化させようとしたからやろ。義満があまりに権力を持ちすぎた反動。
116:名無しのJ民
三代将軍でピークとかもったいないな
117:名無しのJ民
まあでも、義満が日本国王として君臨してたら歴史は大きく変わってたやろな
119:名無しのJ民
天皇の権威が失われてた可能性もあるしな
120:名無しのJ民
いや、義満自身も天皇の権威を完全に否定するつもりはなかったはず。利用するのが目的。
121:名無しのJ民
利用ってことはやっぱり天皇はいるんだろ?
125:名無しのJ民
そう。神話と血統の権威は天皇に。実務と実権は将軍に。って棲み分けを目指した感じ。
126:名無しのJ民
それが完璧に実現してたら、足利将軍家が世襲の国王になってたかもな
130:名無しのJ民
信長や秀吉もそこまではやらなかった。天皇はあくまでトップに置いた。
131:名無しのJ民
義満はもう一歩踏み込んでたってことか
132:名無しのJ民
ある意味、信長や秀吉より野心的だったのかも
135:名無しのJ民
いや、信長は自分が天皇になろうとした説まであるやろ。
136:名無しのJ民
それ言ったら誰でもそうなるやんけ
138:名無しのJ民
義満の死後、跡継ぎの義持が「国王」の称号を返上したんだっけ?
141:名無しのJ民
そうそう。そこも大きい。義持は国内政治に専念して中国との関係はあくまで貿易のため、ってスタンスに戻した。
144:名無しのJ民
もったいないな、そのまま国王でいけよ
147:名無しのJ民
義持は「将軍としてやってくから、国王とかいらんわ」ってこと?
150:名無しのJ民
将軍の権威は将軍の権威、天皇の権威は天皇の権威、ってことで分けてったんちゃうか
153:名無しのJ民
幕府内部でも、義満のやり方に反発があったってことか
156:名無しのJ民
朝廷の貴族たちからも反感買ってたしな
157:名無しのJ民
まあ、そりゃそうだろ。自分たちの権威を横取りするようなもんだし。
160:名無しのJ民
結局、国王を目指したのは義満個人の野心に過ぎなかったってことなんかな
162:名無しのJ民
いや、単なる野心じゃなくて、室町幕府という武家政権をいかに安定させるか、そのための思想的な試みでもあったんだと思うわ。
163:名無しのJ民
天皇の権威に頼らない新しい国家体制の模索、みたいな?
165:名無しのJ民
そう。でも結局、当時の日本では天皇の権威は絶対だったってことやろな
168:名無しのJ民
神様の子孫やからな
169:名無しのJ民
でもそれが崩れてたら、今の天皇制はなかった可能性もあるんだよな
173:名無しのJ民
それはそれでロマンある
174:名無しのJ民
もし義満が国王になって、それが世襲されてたら日本の歴史全然違っただろうな
176:名無しのJ民
金閣寺が今の皇居になってた可能性もあるのか
178:名無しのJ民
それはヤバい
180:名無しのJ民
義満が足利王朝の初代国王とか胸熱
184:名無しのJ民
でも、中国に冊封されてる時点で独立した国王とは言えないような気もするが…
185:名無しのJ民
それは当時の国際情勢を考えたらしゃーないやろ
188:名無しのJ民
中国側から見たら、冊封体制下の「日本国王」はあくまで「中国の家臣」だからな
190:名無しのJ民
日本国内では「俺が国王だ!」って言ってたけど、外では「はい、ご主人様」ってしてたってこと?
194:名無しのJ民
そんな感じちゃう?
197:名無しのJ民
義満、意外と柔軟な外交官だったのか
198:名無しのJ民
賢かったってことだろ
201:名無しのJ民
まぁ、だからこそ「国王」の称号を実利的に利用できたんだろうな
205:名無しのJ民
ぐう有能
208:名無しのJ民
足利義満、再評価されるべき存在
211:名無しのJ民
なんかスレタイ見たときは「まさかw」って思ったけど、調べていくとマジでそうだったんだなってなった
215:名無しのJ民
歴史って奥深いな
218:名無しのJ民
結局、義満が目指した国王制が実現しなかったのは、タイミングが悪かったのか、足利家以外から反発が強すぎたのか、どっちやろ
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